【初級~上級】全国高校野球クイズ 全10問!【雑学クイズ】

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いよいよ開幕が迫る、夏の全国高校野球大会!真夏の甲子園に球児たちの熱い戦いが戻ってくる季節がやってきました。この舞台では、球史に語り継がれる激闘や、怪物エースが築き上げた不滅の奪三振記録など、幾多のドラマや奇跡が生まれてきました。この記事では、大会開幕直前の予習として、知る人ぞ知る高校野球の雑学クイズを全10問ピックアップしました。さぁ、試合開始です!

目次

Q1. 2006年の夏の全国高校野球大会決勝、早稲田実業との歴史的な再試合の末に敗れた、駒大苫小牧のエースは誰?

  1. 澤村拓一
  2. 前田健太
  3. 田中将大
  4. 大野雄大
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Q2. 2007年の夏の高校野球、神奈川大会準決勝で起きた珍事「振り逃げ3ラン」。この時のバッターは誰?

  1. 大田泰示
  2. 筒香嘉智
  3. 浅村栄斗
  4. 菅野智之

Q3. 1998年の夏の全国高校野球大会準々決勝。延長17回の死闘となった「横浜高校 対 PL学園」の試合で、PL学園の投手として登板したのは誰?

  1. 松井稼頭央
  2. 前川勝彦
  3. 福留孝介
  4. 上重聡

Q4.桑田真澄・清原和博のKKコンビを擁するPL学園が、5回の甲子園出場で唯一、準決勝敗退を喫した伊野商業のエースは誰?

  1. 中山裕章
  2. 渡辺智男
  3. 小野和義
  4. 伊東昭光

Q5.1998年の夏の高校野球、青森大会で行われた「東奥義塾 対 深浦高校」の試合。東奥義塾が86安打を放ち、122対0 で勝利したこの試合で、深浦の安打数はいくつだったでしょう?

  1. ノーヒット
  2. 1安打
  3. 2安打
  4. 3安打
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Q6. 1959年の春の選抜高等学校野球大会の入場行進曲は、当時巻き起こっていた“あるブーム”に由来する曲でした。それは次のうちどれ?

  1. ロカビリーブーム
  2. ミッチー・ブーム
  3. フラフープ・ブーム
  4. ダッコちゃんブーム

Q7.夏の高校野球の県大会で、試合中の判定に不満を募らせ、試合終了後に審判に暴行して出場停止処分となった選手は次のうち誰?

  1. 金田正一
  2. 星野仙一
  3. 大沢啓二
  4. 張本勲

Q8.高校野球の強豪・大阪桐蔭高校の出身である藤浪晋太郎投手。彼は毎シーズン母校で自主トレをする際、「ある物」を大量に差し入れていましたが、それは次のうちどれでしょう?

  1. スポーツドリンク
  2. 野球のボール
  3. ベビースターラーメン
  4. 高級な黒毛和牛
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Q9.1979年の夏の全国高校野球大会3回戦で行われた「箕島高校 対 星稜高校」の試合は、「高校野球史上最高の試合」と語り継がれています。この試合に出場していた選手は、次のうち誰でしょう?

  1. 音重鎮
  2. 井上祐二
  3. 仁村徹
  4. 岡崎郁

Q10.高校野球の全国大会において、1大会での最多奪三振記録(83個)を持っているのは誰でしょう?

  1. 江夏豊
  2. 江川卓
  3. 村田兆治
  4. 板東英二

全国高校野球クイズの答え&ミニ雑学 

Q1. 2006年の夏の全国高校野球大会決勝、早稲田実業との歴史的な再試合の末に敗れた、駒大苫小牧のエースは誰?

正解は 田中将大 です!

2006年の第88回全国高校野球選手権大会の決勝は、高校野球史に残る名勝負となりました。延長15回を引き分け、翌日の再試合の末に早稲田実業が初優勝を飾りました。この時、早稲田実業のエース・斎藤佑樹投手がマウンドでハンカチで汗を拭う姿から「ハンカチ王子」と呼ばれ、流行語にもなったのは有名ですね。

対する駒大苫小牧のエース・田中将大投手も気迫のピッチングを見せましたが、最後の打者として三振に倒れ、惜しくも敗れました。その後、この悔しさをバネに更に成長した田中投手は、メジャーリーグの名門ヤンキースでも活躍し、日米通算200勝を達成する大投手となりました。

Q2. 2007年の夏の高校野球、神奈川大会準決勝で起きた珍事「振り逃げ3ラン」。この時のバッターは誰?

正解は 菅野智之 です!

2007年の神奈川大会準決勝・東海大相模 対 横浜高校。4回2アウトランナー1・3塁の場面で菅野選手は空振り三振。しかし、捕手がボールをワンバウンドで捕球し「振り逃げ」が成立する状況にもかかわらず、横浜高校の選手は球審がアウトを宣告したと勘違いし、そのままベンチへ引き揚げてしまいました。その隙を突き、ランナー2人と菅野選手はホームへ生還。一挙に3点を追加した東海大相模は6-4で勝利しています。

実はこの試合、選択肢にある大田泰示選手が東海大相模の4番として、さらに筒香嘉智選手も横浜高校のサードとして出場していた、その後プロ野球で活躍する選手が揃う一戦でもありました。菅野投手はその後、東海大学を経て読売ジャイアンツへ入団し、沢村賞や最多勝など数々のタイトルを獲得。現在はメジャーリーグでプレーしています。

ももか

あのさ~、あたし野球のルールとかあんまり詳しくないから「振り逃げ」ってイマイチよくわかんないんだけど、そんな有り得ないミスで3点も取られちゃうって、ヤバくない!?

普通に相手が強くて実力で負けたら「しゃーない、次頑張ろ!」って諦めもつくけどさ。こんな勘違いみたいなミスで一気に点取られて負けるとか、絶対一生引きずるやつじゃん。

試合後のミーティングの空気、想像するだけでしんどいよね~。あたしが選手だったら、マジで悔しすぎて夜も寝れないかも。

てか、世の中何があるか分からないから、最後まで油断しちゃダメってことかな~。

Q3. 1998年の夏の全国高校野球大会準々決勝。延長17回の死闘となった横浜高校 対 PL学園の試合で、PL学園の投手として登板したのは誰?

正解は 上重聡 です!

1998年全国高校野球大会準々決勝、横浜高校とPL学園の一戦は高校野球史に残る熱戦となりました。横浜のエース・松坂大輔投手と、PLのエース・上重聡投手らによる延長17回に及ぶ息詰まる死闘の末、激闘を制した横浜が勝利しました。

死闘を制した横浜高校は、そのままの勢いでこの大会を制覇し、見事に春夏連覇を達成します。特に驚きなのは、松坂投手はこのPL戦で250球という球数を一人で投げ抜いたにも関わらず、翌日の準決勝でリリーフ登板し、さらに決勝戦ではノーヒットノーランで優勝を決めたことです。「平成の怪物」と呼ばれるにふさわしい、まさに規格外の伝説ですね。

一方の上重投手は肘の故障などから野球に区切りをつけ、大学卒業後はアナウンサーの道へと進んでいます。

Q4.桑田真澄・清原和博のKKコンビを擁するPL学園が、5回の甲子園出場で唯一、準決勝敗退を喫した伊野商業のエースは誰?

正解は 渡辺智男 です!

KKコンビ(桑田真澄・清原和博)を擁するPL学園は、春と夏合わせて5季連続で甲子園に出場し、4度も決勝へ進出する圧倒的な強さを誇りました。そんな彼らが唯一決勝進出を逃す敗北を喫したのが、1985年春の大会の準決勝でした。この試合で強力なPL打線を見事に抑え込み、伊野商を勝利に導いたのが渡辺智男投手です。

その後、渡辺投手は社会人野球を経て西武ライオンズに入団しました。西武にはすでに甲子園のスター・清原選手が在籍しており、今度は同じチームで日本一を目指すことになります。入団後の渡辺投手は威力抜群のストレートと大きなカーブを武器にプロ1年目から活躍。2年目も先発ローテーションを支え、読売ジャイアンツとの日本シリーズ第3戦では桑田投手と投げ合い、再び渡辺投手が勝利。ライオンズは4連勝で日本一になっています。

あかね

やっぱりスポーツって、こういう「絶対王者を倒す瞬間」が一番アツいよね!

KKコンビのPL学園って、当時は誰もが優勝して当然って思うような優勝候補だったんでしょ? そんなチームを相手に抑え込んで勝っちゃうなんて、最高すぎるじゃん。

私、こういう弱者が気迫で強敵を倒すみたいな展開にめちゃくちゃ弱いんだよね。勝負って実績や知名度だけじゃ決まらない。必ず勝つって気合があれば、下馬評を覆すこともできるんだ。

高校野球って、こういうドラマがあるから、ずっと昔から日本人に愛されてるんだろうね。

Q5.1998年の夏の高校野球、青森大会で行われた「東奥義塾 対 深浦高校」の試合。東奥義塾が86安打を放ち、122対0 で勝利したこの試合で、深浦の安打数はいくつだったでしょう?

正解は ノーヒット です!

1998年の夏の高校野球、青森大会の予選で起きた「122対0」という衝撃的な試合。東奥義塾は初回から猛攻を仕掛け、なんと初回だけで一挙39得点を奪いました。その後も毎回10得点以上を記録し、規定により7回コールドゲームが成立。東奥義塾が86安打を放つ一方、深浦高校はノーヒットという結果に終わりました。

当時の深浦高校には正式な野球部員がわずか10人。しかもその半数が野球未経験の素人でした。翌年に出場した大会でも0対54で敗れましたが、その不屈の想いは後輩たちへと受け継がれ、2004年の県大会で見事、悲願の大会初勝利を挙げたのです。甲子園の全国大会とはまた違う、高校野球ならではのドラマですね。

アキカズ

野球の試合で122対0だと? 点差だけ見ればひどい有様だ。未経験の素人が半数もいれば当然の結果だろう。今の若い連中なら「恥をかくくらいなら出ない方がマシだ」と逃げ出すかもしれん。

だがな、儂は逃げずに最後までグラウンドに立ち続けたこいつらの根性を褒めてやりたい。

職人の世界も同じだ。最初は誰だって見習いの素人からのスタートなのだ。親方に怒鳴られ、兄弟子にこき使われ、それでも歯を食いしばって己を磨く。その無様な姿を晒す覚悟がない奴には、一人前になる道は開けんのだ。

翌年も大敗し、それでも諦めずに数年後に初勝利をもぎ取ったというじゃないか。これこそが歴史の積み重ねだ。泥まみれのスタートから逃げなかった深浦の球児たち、実に天晴!

Q6. 1959年の春の選抜高等学校野球大会の入場行進曲は、当時巻き起こっていた“あるブーム”に由来する曲でした。それは次のうちどれ?

正解は ミッチー・ブーム です!

1959年の春、日本中は当時の皇太子殿下と美智子さまのご成婚を祝う「ミッチー・ブーム」の真っ只中にありました。この国民的なブームを受け、選抜高等学校野球大会の入場行進曲には、ご成婚を記念した楽曲『皇太子のタンゴ』が選出されました。テレビが本格的に普及し始めた時代でもあり、日本中がこの明るい話題に包まれていたんですよ!

高校野球の入場行進曲に関する雑学をもう一つ。第1回大会が開かれた1924年の入場行進曲はアメリカ国歌「星条旗よ永遠なれ」などでした。また、戦前は軍国色の強い曲が多く選ばれていたのです。「皇太子のタンゴ」が採用された1959年は、高校野球の入場行進曲が流行歌へと衣替えしていく過渡期でもありました。

ゆかり

高校野球で、ご成婚を祝う曲が入場行進曲に選ばれていたなんて、ちょっと意外ですね。でも、当時の日本がこの明るいニュースに沸いていたのが伝わってきて、なんだか心が温かくなりました。

テレビが普及し始めた時代に、日本中が同じ喜びに包まれて盛り上がっていたなんて、とても素敵な光景ですよね。きっと、当時の高校球児たちも、国中が祝福する明るいムードの中で行進できて、嬉しかったんじゃないかなって想像してしまいます。

今の時代も、こんな風に日本中が一つになって純粋に喜び合えるような、温かくて幸せなニュースがたくさん増えればいいなと、少し羨ましくも感じました。

Q7.夏の高校野球の県大会で、試合中の判定に不満を募らせ、試合終了後に審判に暴行して出場停止処分となった選手は次のうち誰?

正解は 大沢啓二 です!

大沢選手は神奈川商工のエースとして活躍していましたが、3年の夏の神奈川大会2回戦、逗子開成との試合で事件は起きました。再三にわたる不満の残るジャッジにフラストレーションが溜まり、延長戦の末に無念の敗北。怒りが収まらず、試合終了後にその審判に暴行してしまい、母校は1年間の出場停止処分を受けます。

しかしここからが意外な展開が待っていました。自宅謹慎中の彼のもとに、なんと暴行された審判本人が訪ねてきて「君のような野球がうまくて元気のある選手が立教大学に必要なんだ」とまさかのスカウト。大沢選手は立教大学へ進学後、プロ野球でも活躍。監督となってからも退場回数の多さで有名でしたが、その直情径行で裏表のない性格から「大沢親分」として多くのファンに親しまれました。

Q8.高校野球の強豪・大阪桐蔭高校の出身である藤浪晋太郎投手。彼は毎シーズン母校で自主トレをする際、「ある物」を大量に差し入れていましたが、それは次のうちどれでしょう?

正解は ベビースターラーメン です!

藤浪投手は母校で自主トレをする際、西谷浩一監督の好物であるこのスナック菓子を大量に差し入れしていました。年々エスカレートして最大800袋近くに達した年もあったそうです。この規格外の差し入れが話題となり、製造会社のおやつカンパニーから藤浪投手へ感謝状と御礼の品が贈られました。しかし、西谷監督によると「差し入れはもうやめてもらった」とのことで、今現在はベビースターラーメンの差し入れはしていないそうです。

高校野球の頂点を争う甲子園大会で春夏連覇も達成している大阪桐蔭は、数多くのプロ野球選手を輩出しています。厳しい練習だけでなく、監督と教え子たちのこうしたユーモア溢れる温かい絆も、全国で優勝を重ねる強さの秘訣なのかもしれませんね。

そうた

800袋のベビースターラーメンって、想像しただけで笑っちゃうよね! ボクもスナック菓子は大好きだけど、さすがにそんなにあったら部屋の中が駄菓子屋さんみたいになっちゃうよ。

でも、こういう冗談みたいなやり取りができるって、西谷監督と藤浪選手の関係がめちゃくちゃいい証拠なんだろうなぁ。厳しい戦いを一緒に乗り越えたからこそ、大人になってからも笑い合える関係って、なんか凄くイイよね。

……あれ? 待てよ?

じゃあ、ボクがスポーツの強豪高校の監督になったら、将来プロとして成功した教え子から、ご褒美がもらえるかもしれないってこと!?

よーし、だったらボクも今から、選手じゃなくて監督を目指しちゃおうかな(笑)

Q9.1979年の夏の全国高校野球大会3回戦で行われた「箕島高校 対 星稜高校」の試合は、「高校野球史上最高の試合」と語り継がれています。この試合に出場していた選手は、次のうち誰でしょう?

正解は 音重鎮 です!

1979年の夏の甲子園3回戦「箕島対星稜」は、延長に次ぐ延長の末、箕島高校が劇的なサヨナラ勝ちを収めた高校野球史上最高の試合として有名です。星稜高校の選手としてこの壮絶な死闘に出場していたのが、のちに中日ドラゴンズなどで活躍する音重鎮(おと しげき)選手でした。

音選手は、大学・社会人を経て中日ドラゴンズ入りし、勝負強い打撃と高い守備力でゴールデングラブ賞を受賞。現役引退後はコーチ・スカウトとして球団に残り、2026年からは社会人野球のヘッドコーチとして新たなキャリアを歩んでいます。

Q10.高校野球の全国大会において、1大会での最多奪三振記録(83個)を持っているのは誰でしょう?

正解は 板東英二 です!

高校野球の歴史において、今もなお破られていない1大会83奪三振という驚異の記録。これを打ち立てたのは、徳島商のエースだった板東英二投手です。1958年の夏の甲子園で、延長18回で引き分け再試合となった激闘の準々決勝を含む全試合を投げ抜き、この偉大な金字塔を打ち立てました。

板東投手はその後、プロ野球の中日ドラゴンズに入団し、主力投手として通算77勝を挙げる活躍を見せました。引退後はタレントとしてマルチに活躍し、長年お茶の間を楽しませてくれた板東さんですが、つい先日この世を去られました。偉大な記録と記憶を残してくれた名投手の安らかな眠りを、心よりお祈り申し上げます。

レン

1大会83奪三振という記録を、私は手放しで称賛する気にはなれない。

板東投手が全試合を投げ抜いたという事実を、当時の人々は美談に仕立てあげたのだろう。しかしその裏にあるのは、一人の投手を消耗させることを当然とした時代だ。

延長18回の激闘を含め全試合を完投する。現代のスポーツ医学の観点から言えば、これは美談ではなく酷使の記録として読まれるべきだろう。

甲子園という熱狂の生贄となり、将来を嘱望されながらも高校野球で肩や肘を壊し、使い潰されていった才能が過去にどれほどあったことか。

運良くプロ入りを果たせたとしても、異常なまでの登板過多を強いられ、わずか数年で選手生命を終えた実例も多い。板東投手はプロで77勝を挙げたが、それが本来の限界だったのか、あるいは高校時代の酷使がなければ更に上を目指せたのか、知る術はない。

「記録は破られるためにある」とよく言われる。しかしこの記録に限っては、破られないままであることの方が、健全な時代になった証だといえるだろう。

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