【芸能雑学】昭和を彩った伝説のビッグカップル【Vol.1】

歌謡界の女王とマイトガイ「美空ひばり&小林旭」 人間・文化
昭和のビッグカップルの雑学記事

6月といえばジューンブライド。結婚への憧れが高まるこの季節に、かつて日本中を沸かせた「昭和のビッグカップル」たちをご紹介します!大スターたちが選んだそれぞれのドラマチックな信頼の形とは?

歌謡界の女王とマイトガイ「美空ひばり&小林旭」

昭和のエンタメ史を語る上で欠かせないビッグカップルといえば、美空ひばりさんと小林旭さんです。雑誌の対談企画から結婚に発展した二人でしたが、その結末はあまりにも早く、そして切ないものでした。

天才少女から「不世出の歌姫」へと駆け上がった「美空ひばり」

1937年生まれの美空ひばりさんは、わずか9歳でステージデビューを果たし、「天才少女歌手」として瞬く間にスターダムを駆け上がりました。戦後の傷跡が残る日本において、『悲しき口笛』や『リンゴ追分』など数々の大ヒット曲を連発し、日本国民に明るい希望をもたらしました。

類まれな歌唱力と表現力で観客を魅了し続け、映画俳優としても大活躍。彼女は、まさに昭和という時代を象徴する不世出の「歌謡界の女王」でした。

「マイトガイ」として銀幕を席巻した大スター「小林旭」

一方、1938年生まれの小林旭さんは、日活のニューフェイスとして映画界にデビューしました。甘いマスクとダイナミックなアクションで「マイトガイ」の愛称で親しまれ、石原裕次郎さんと並ぶ日活の看板スターとして絶大な人気を誇りました。

『ギターを持った渡り鳥』シリーズなどの大ヒット映画はもちろんのこと、歌手としても数々のヒットソングを飛ばし、当時の若者たちにとって憧れの的でした。

世紀の結婚と、周囲に翻弄された事実婚生活

誰もが知る大スターの二人が急接近したのは、雑誌での対談企画がきっかけでした。対談後、ひばりさんの方から熱烈なアプローチを重ね、1962年、日本中の注目を集める中で盛大な結婚式を挙げました。

しかし、この世紀の結婚には最初から大きな壁が立ちはだかっていました。ひばりさんと彼女の母親は「一卵性親子」と呼ばれるほど強い絆で結ばれており、母親は非常に強力なステージママとしてひばりさんの公私すべてを管理していました。

小林さんは「入籍」を希望していましたが、ひばりさんの母親がこれを固辞。結果として、二人は戸籍上の夫婦ではない「事実婚」という形を取らざるを得なかったのです。

ひばりさん自身は仕事をセーブし、良き妻になろうと努力していました。しかし、ひばりさんの母親をはじめとする周囲が二人の生活に介入し、夫婦の溝は深まるばかり。ついに1964年、わずか2年あまりで二人は離婚(事実婚の関係解消)を迎えることになります。

記者会見で小林さんは未練をにじませながらも、「彼女が僕と結婚しているより、芸術と結婚したほうが幸せになれるのなら」と語り、愛するがゆえに身を引く形で離婚を承諾したそうです。一方で、ひばりさんの母親は「人生で一番不幸だったのは娘が小林と結婚したことで、人生で一番幸せだったのは二人が離婚したこと」と公言してはばからなかったと言います。

結婚からわずか2年あまりで幕を閉じた、昭和最大のビッグカップル。芸術と結婚した女王と、その背中を見送った男。ふたりの恋は短くとも、確かに昭和という時代に輝いていました。

ももか
ももか

え、待って待って。小林さんの離婚会見のセリフ、ヤバくない!?「彼女が僕と結婚しているより、芸術と結婚したほうが幸せになれるのなら」って、映画のセリフかよってくらいエモいんだけど!

フツー、相手の親に邪魔されて別れることになったらブチギレてもおかしくないのに、愛してるからこそ身を引くとか、どんだけイイ男なわけ!?「マイトガイ」とか呼ばれてたらしいけど、見た目だけじゃなくて中身もイケメンすぎっしょ。

でもさー、それって結局は2人ともまだ全然好きなのに、周りのせいで無理やり別れなきゃいけなかったってことなんだよね。なんか切なすぎて泣きそうになるわ。

大スター同士の恋って、普通の人みたいにただ好きってだけじゃダメなんだね。すべてを手に入れたような人たちでも、普通の幸せを手に入れるのが一番むずかしいとか、マジで泣けるよね〜。

美空ひばりについて

  • 1937年生まれ、わずか9歳でステージデビューし「天才少女歌手」として一躍スターに
  • 『悲しき口笛』『リンゴ追分』などの大ヒット曲を連発した
  • 歌手としてだけでなく映画俳優としても活躍した

小林旭について

  • 1938年生まれ、日活のニューフェイスとして映画界にデビュー
  • 甘いマスクとダイナミックなアクションで「マイトガイ」の愛称で親しまれた
  • 石原裕次郎と並ぶ日活の看板スターで、歌手としても多数のヒット曲を持つ

二人の結婚と破局

  • 出会いは雑誌の対談企画で、ひばりさんから熱烈にアプローチして1962年に盛大な結婚式を挙げた
  • 小林さんは入籍を希望したが、ひばりさんの母親が固辞したため戸籍上の夫婦にはなれず「事実婚」という形だった
  • ひばりさんの母親をはじめとする周囲の介入で夫婦の溝が深まり、わずか2年あまりで離婚(事実婚の関係解消)
  • 離婚会見で小林さんは「彼女が芸術と結婚したほうが幸せになれるなら」と語り、愛するがゆえに身を引いた
  • ひばりさんの母親は「娘が小林と結婚したことが人生で一番の不幸、離婚したことが一番の幸せ」と公言していた

「江利チエミ&高倉健」すれ違った不器用な愛

昭和の芸能界を彩った歌姫・江利チエミと、不器用な男を演じ続けた・高倉健。映画での共演が縁で結ばれたふたりは、本人たちの意思とは無関係なところで引き裂かれてしまいました。

15歳で大ブレイク!天才少女から昭和の歌姫へ「江利チエミ」

1937年生まれの江利チエミさんは、進駐軍キャンプでのジャズ歌手を経て、わずか15歳でデビュー曲『テネシー・ワルツ』を大ヒットさせました。抜群の歌唱力で一躍トップスターとなり、美空ひばりさん、雪村いづみさんと共に「三人娘」として映画界でも引っ張りだこになります。

さらに江利さんは歌手や俳優としてだけでなく、クイズ番組や司会業へと活躍の場を広げていきます。彼女がその輝かしいキャリアの絶頂期に出会い、心から愛したのが、のちに伝説的な俳優となる一人の男性でした。

結婚当時はまだ、売れない俳優だった「高倉健」

1931年生まれの高倉健さんは、大学卒業後に東映のニューフェイスとして芸能界入りを果たします。のちに『網走番外地』や『昭和残侠伝』シリーズで任侠映画ブームを巻き起こし、後年は「幸福の黄色いハンカチ」「鉄道員(ぽっぽや)」など人情ドラマでも高い評価を受け、日本映画界を背負う不動の大スターとなる高倉さん。

しかし、江利さんと出会い、結婚した当時の彼は、まだ確固たるポジションを築けていない、いわば「売れない俳優」でした。大スターの江利さんと駆け出しに近い高倉さんという関係でしたが、二人の間には確かな愛が育まれていたのです。

悲劇の離婚と、死がふたりを隔てても続いた「純愛」

二人の馴れ初めは映画での共演でした。1959年2月16日、高倉さんの誕生日に晴れて結婚式を挙げた二人ですが、結婚生活は順風満帆ではありませんでした。結婚から3年後、待望の子宝に恵まれますが、江利さんが重度の妊娠高血圧症候群(当時の妊娠中毒症)を発症。母体の命を優先するため、やむなく中絶という悲しい決断を下すことになりました。

さらに不幸は続き、江利さんの異父姉による巨額の横領・詐欺事件が発覚します。数億円もの借金を背負うことになった江利さんは、愛する夫・健さんにこれ以上迷惑をかけまいと自ら身を引く決意を固め、1971年に約12年間の結婚生活に自らピリオドを打ちました。

その後、必死に借金を返済し終えた1982年、江利さんは45歳という若さで不慮の死を遂げます。奇しくも葬儀が行われた「2月16日」は、高倉さんの誕生日であり二人の結婚記念日でした。高倉さんは葬儀には姿を見せませんでしたが、本名の「小田剛一」で密かに供花を贈っています。高倉さんは83歳でこの世を去るまで独身を貫き、毎年江利さんの命日にはお墓参りを欠かしませんでした。

別々の道を歩むことになっても、心の中では離れることのなかった二人。江利チエミと高倉健が遺したエピソードは今なお色褪せません。

「江利チエミ&高倉健」すれ違った不器用な愛
ゆかり
ゆかり

結婚記念日であり健さんの誕生日でもある「2月16日」にチエミさんの葬儀が行われたという事実に、運命の残酷さと、不思議な運命を感じてしまいました。

お二人の人生は、身内の事件や悲しい別れなど、本人たちの意思とは違うところで理不尽に引き裂かれてしまって、読んでいて苦しくなるほどです。

でも、そういった悲劇によって夫婦という形は壊れてしまっても、二人の根本にあった「お互いを想い合う愛」そのものは、最期まで決して壊れていなかったのだと思います。

すれ違ってしまったように見えて、本当は誰よりも強く心で結ばれていた二人。とても悲しい結末ではありますが、そこには確かに美しい愛があって、切なさの中にも、胸が温まるものがありました。

江利チエミについて

  • 1937年生まれ、進駐軍キャンプでのジャズ歌手を経て15歳でデビュー曲『テネシー・ワルツ』を大ヒットさせた
  • 美空ひばり・雪村いづみと共に「三人娘」として映画界でも活躍した

高倉健について

  • 1931年生まれ、大学卒業後に東映のニューフェイスとして芸能界入り
  • 結婚当時はまだ売れない俳優だったが、後に『網走番外地』『昭和残侠伝』シリーズなどで日本映画界を代表する大スターとなった

二人の結婚と悲劇

  • 映画での共演がきっかけで、1959年2月16日(高倉さんの誕生日)に結婚式を挙げた
  • 結婚3年後、待望の子を授かるも、江利さんが重度の妊娠高血圧症候群を発症し、母体優先のためやむなく中絶という悲しい決断をした
  • 江利さんの異父姉による巨額の横領・詐欺事件が発覚し、数億円の借金を背負うことになった
  • 高倉さんにこれ以上迷惑をかけまいと、江利さん自ら身を引く形で1971年に離婚、約12年間の結婚生活に終止符を打った

死後も続いた純愛

  • 1982年、江利さんは45歳で不慮の死を遂げた
  • 葬儀が行われたのは「2月16日」、奇しくも高倉さんの誕生日かつ二人の結婚記念日だった
  • 高倉さんは葬儀に姿を見せなかったが、本名「小田剛一」で密かに供花を贈った
  • 高倉さんは83歳で亡くなるまで独身を貫き、毎年江利さんの命日に墓参りを続けた

「浅丘ルリ子&石坂浩二」仮面夫婦が選んだ円満離婚

ドラマの共演を機に結ばれた大女優・浅丘ルリ子さんと、知性派俳優・石坂浩二さん。日活の大スターと、博学多才な俳優の組み合わせは当時大きな話題を呼びましたが、長年の結婚生活の幕引きもまた、世間を驚かせるものでした。

日活の看板女優として一時代を築いた「浅丘ルリ子」

浅丘ルリ子さんは1940年生まれ。少女時代からその圧倒的な美貌で注目を集め、日活映画の黄金期を支えるトップスターとして君臨しました。『男はつらいよ』シリーズのリリー役などでも知られ、まさに永遠のマドンナと呼ぶにふさわしい活躍を見せます。なお、1960年頃には、共に日活を牽引したマイトガイこと小林旭さんと一時期事実婚状態にあったという、情熱的な恋愛遍歴も持っています。

知性派俳優の代名詞!マルチに活躍する「石坂浩二」

一方の石坂浩二さんは1941年生まれ。知性と品格を感じさせる名優として知られる存在です。高校学中にデビューし、数多くのドラマや映画に出演しました。特に映画『犬神家の一族』をはじめとする金田一耕助シリーズは大ヒットを記録。俳優業だけでなく、その博識ぶりを活かして司会者やナレーターとしてもマルチに活躍し、インテリ俳優の代名詞的存在となりました。

30年の別居生活と母の介護。二人が選んだ「前向きな離婚」

二人の馴れ初めは、ドラマでの共演でした。圧倒的な大スターである浅丘さんと結ばれた石坂さんでしたが、結婚後ほどなくして別居状態となります。メディアからは「離婚危機」「仮面夫婦」と揶揄されることもありましたが、二人はつかず離れずの独特な距離感を保ち続けていました。

「浅丘ルリ子&石坂浩二」仮面夫婦が選んだ円満離婚

しかし結婚から約30年後の2000年、ついに二人は離婚を発表します。その理由は「大女優である浅丘に、石坂の実母の介護をさせるわけにはいかない」というものでした。二人揃って開かれた離婚会見では、決して憎み合っての別れではない「円満離婚」であることを語りました。

そして離婚からわずか5日後となる2001年1月、石坂さんは電撃再婚を発表して再び世間を驚かせます。お相手は、数年前から石坂さんの実母の介護を引き受けていた女性でした。石坂さんにとってこの再婚は、お世話になった彼女に対する「ケジメの入籍」だったのです。

浅丘さんは、電話で石坂さんから入籍の報告を受け、祝福の言葉を返したと伝えられています。約30年という歳月の多くを別居で過ごしたふたり。「円満離婚」という言葉の裏に、それぞれがどんな思いを抱えていたかは、本人たちだけが知ることです。

レン
レン

二人揃っての離婚会見からわずか5日後の電撃再婚。そして、それに対する元妻の祝福。この記事は、まるで美談であるかのように語っているが、額面通りに受け取る読者がどれほどいるのだろうか。

数年前から実母の介護を別の女性に任せておきながら、表向きは「大女優への配慮」を理由に円満離婚を演出する。そして即座に、実務を担ってくれた女性と籍を入れる。これを「ケジメ」と呼ぶなら、世の中の不誠実はすべて大義名分によって正当化されてしまうだろう。

元妻である浅丘ルリ子も、電話で祝福したというが、大女優としてのプライドがそうさせたのか、あるいは単に厄介払いできた安堵なのかは当人にしか分からないものだ。

いずれにせよ、人間という生き物は、自分に都合よく事実を“つくり替え”、美しい物語に仕立て上げる天才だということだけは間違いないようだ。

浅丘ルリ子について

  • 1940年生まれ、日活映画の黄金期を支えたトップスター
  • 『男はつらいよ』シリーズのリリー役でも広く知られる
  • 1960年頃、同じく日活の看板スターだった小林旭さんと一時期事実婚状態にあった

石坂浩二について

  • 1941年生まれ、知性派俳優の代名詞のような存在になる
  • 映画『犬神家の一族』をはじめとする金田一耕助シリーズが大ヒット
  • 俳優業に加え、その博識を活かして司会者・ナレーターとしてもマルチに活躍

二人の結婚と離婚

  • ドラマの共演がきっかけで結婚したが、結婚後ほどなくして別居状態となった
  • 「離婚危機」「仮面夫婦」と揶揄されながらも、つかず離れずの関係を約30年間続けた
  • 2000年に離婚を発表。理由は「大女優の浅丘に、石坂の実母の介護をさせるわけにはいかない」というものだった
  • 二人揃って開いた離婚会見で、憎み合っての別れではない「円満離婚」であることを語った

離婚後の展開

  • 離婚からわずか5日後、石坂さんは電撃再婚を発表し世間を驚かせた
  • 再婚相手は数年前から石坂さんの実母の介護を引き受けていた女性で、石坂さんにとって「ケジメの入籍」だった
  • 浅丘さんは石坂さんから電話で報告を受け、祝福の言葉を返した

タイトルとURLをコピーしました