【芸能雑学】昭和を彩った伝説のビッグカップル【Vol.2】

ゴールデンコンビから理想の夫婦へ!「山口百恵&三浦友和」 人間・文化
昭和のビッグカップルの雑学記事

6月はジューンブライドの季節ですが、本当にドラマチックなのは結婚後の長い道のりかもしれません。本記事では、誰もが羨む理想の夫婦から、離婚を経て戦友となった二人まで、3組のビッグカップルを紹介します!

ゴールデンコンビから理想の夫婦へ!「山口百恵&三浦友和」

数多くの映画やテレビドラマで共演を重ね、日本中から「ゴールデンコンビ」と呼ばれて愛された山口百恵さんと三浦友和さん。このパートでは、人気絶頂での引退劇から現在に至るまでの愛の軌跡をご紹介します。

圧倒的な存在感を放ったカリスマアイドル「山口百恵」

1959年生まれの山口百恵さんは、1972年にオーディション番組『スター誕生!』での合格を機に芸能界入りを果たしました。翌年に歌手デビューすると、その大人びた歌声とミステリアスな魅力で瞬く間にトップアイドルへと成長します。

『ひと夏の経験』や『横須賀ストーリー』『いい日旅立ち』など、数々の名曲を世に送り出し、1970年代に最もレコードを売り上げた歌手として歴史にその名を刻みます。また、歌手としてだけでなく、女優としても圧倒的なカリスマ性を放ち、1970年代の日本を代表するトップスターとして君臨しました。

誠実な魅力でファンを魅了した実力派俳優「三浦友和」

一方、1952年生まれの三浦友和さんは、1972年にテレビドラマで俳優デビューを果たしました。端正な顔立ちと誠実で爽やかな好青年ぶりで、瞬く間に人気俳優の仲間入りを果たします。

当初はアイドル的な人気を博していましたが、数々の映画やドラマで主演・助演を問わず経験を積み、確かな演技力を身につけていきました。真面目で実直な人柄はスクリーンを通しても伝わり、多くのファンを魅了し続けました。

マイクを置いた伝説のステージ!そして「理想の夫婦」へ

そんな二人の運命が交差したのは1974年のことでした。CMでの共演をきっかけに、同年、山口百恵さんの映画初主演作となる『伊豆の踊子』で再び共演を果たします。この作品が大ヒットしたことで、二人はその後も数々の映画やテレビドラマで共演。「ゴールデンコンビ」と呼ばれ、国民的な人気を博しました。驚くべきことに、百恵さんの主演映画全13本のうち、実に12本が三浦さんとの共演作だったのです。

銀幕での恋人役は次第に現実の愛へと発展し、1979年のリサイタルで百恵さんはファンに向けて堂々の「恋人宣言」を行います。そして翌1980年3月、人気絶頂のさなかに婚約を発表。同時に、結婚を機に家庭に入り、芸能界を引退することを正式に発表して日本中に衝撃を与えました。同年10月に行われた日本武道館でのファイナルコンサートでは、最後の歌唱終了後に純白のマイクをステージの中央に置き、静かに去っていく伝説的なシーンが生まれました。

結婚式は1980年11月に赤坂の教会で厳かに執り行われ、東京プリンスホテルでの披露宴には2千人近い招待客が招かれる盛大なものとなりました。結婚後、百恵さんは宣言通り完全に芸能界から引退し、良き妻、そして母として家族を支える道を選びます。一方の友和さんは俳優業を継続し、渋みのある実力派俳優として長いキャリアを築き、のちに旭日小綬章を受章しました。

二人の間に生まれた息子たち(長男・三浦祐太朗さん、次男・三浦貴大さん)も、それぞれ歌手や俳優として芸能界で活躍しています。二人の揺るぎない絆は広く世間に知られ、明治安田生命が毎年実施する「理想の有名人夫婦」アンケートにおいて、なんと15年連続で1位を獲得し、ついに殿堂入りを果たしました。

人気の絶頂で、その全てを手放してでも守りたかった愛。「理想の夫婦」という言葉がこれほど似合うカップルは、後にも先にもそうはいないでしょう。

アキカズ
アキカズ

人気絶頂のさなかに、一切の未練を断ち切って芸能界を退く。ほう……これほどの引き際の美学を見せられるとはな。

今の世の中を見渡してみろ。人気や地位にしがみつき、ダラダラと醜態を晒す輩の何と多いことか。全く嘆かわしい!自分の仕事に誇りを持つなら、一番美しい時に自ら幕を引くというのも一つの覚悟だ。

「家庭に入る」と決めたら、振り返らずにその道を全うする。芸能界のトップスターという華やかな立場をあっさりと捨ててまで、己の筋を通したその姿勢は、実に潔い。

伝説だ何だと世間は騒ぐが、彼女が本当に見せたのは、一人の人間としての太い「芯」だ。見事な生き様じゃないか。実に天晴!

山口百恵について

  • 1959年生まれ、1972年にオーディション番組『スター誕生!』合格で芸能界入り
  • 『ひと夏の経験』『横須賀ストーリー』『いい日旅立ち』など数々のヒット曲を持ち、1970年代に最もレコードを売り上げた歌手
  • 歌手と女優を兼ねた1970年代を代表するトップスター

三浦友和について

  • 1952年生まれ、1972年にテレビドラマで俳優デビュー
  • アイドル的人気から出発し、経験を積んで実力派俳優へと成長、のちに旭日小綬章を受章

二人の出会いと「ゴールデンコンビ」

  • 1974年のCMで初共演、同年映画『伊豆の踊子』でも共演
  • 百恵さんの主演映画全13本のうち12本が三浦さんとの共演作だった
  • 「ゴールデンコンビ」として国民的な人気を博した

伝説の引退と結婚

  • 1979年のリサイタルでファンへ「恋人宣言」を行った
  • 1980年3月に婚約と芸能界引退を同時発表し日本中に衝撃を与えた
  • 同年10月の日本武道館ファイナルコンサートで最後の歌唱後、純白のマイクをステージ中央に置いて静かに去る伝説的なシーンが生まれた
  • 同年11月に赤坂の教会で結婚式、東京プリンスホテルでの披露宴には約2千人が招かれた

結婚後

  • 百恵さんは宣言通り芸能界を完全引退し家庭に入った
  • 長男・三浦祐太朗さん(歌手)、次男・三浦貴大さん(俳優)もそれぞれ芸能界で活躍
  • 明治安田生命「理想の有名人夫婦」アンケートで15年連続1位を獲得し殿堂入りを果たした

昭和の歌謡界カップル「森進一&森昌子」

昭和の歌謡界で長く活躍した森進一さんと森昌子さん。社会福祉活動を通じて距離を縮めた二人の出会いから結婚、そして別れに至るまでの歩みをご紹介します。

哀愁漂う歌声でファンを魅了した「森進一」

1947年生まれの森進一さんは、1966年にデビューし、独特のかすれ声と豊かな表現力で多くのファンを獲得しました。『おふくろさん』などの名曲を歌い上げ、実力派の歌手として着実に実績を重ねていきました。私生活では、女優の大原麗子さんと1980年に結婚したものの、約4年で別々の道を歩むことになります。この離婚を一つの契機として、彼は歌以外の社会貢献活動にも目を向けるようになりました。

「スター誕生!」から歌謡界へ「森昌子」

一方、1958年生まれの森昌子さんは、1971年に人気オーディション番組『スター誕生!』で初代グランドチャンピオンに輝き、翌年に歌手デビューしました。同年代の山口百恵さん、桜田淳子さんと共に「花の中三トリオ」として注目を集め、愛らしいルックスと歌唱力で人気になりました。その後アイドルから演歌歌手へと路線を変え、「越冬つばめ」などをヒットさせます。

ボランティア活動での共鳴から結婚、そして新たな人生へ

大原麗子さんとの離婚後、進一さんは社会福祉活動「じゃがいもの会」を立ち上げました。この活動に昌子さんが賛同して参加したことが、二人の距離を急接近させるきっかけとなります。

約1年半の交際を実らせ、1986年10月に二人は結婚を発表。昌子さんはこれを機に歌手活動を一旦引退し、家庭での生活を優先させました。長らく公の場から遠ざかっていましたが、2001年の『第52回NHK紅白歌合戦』で夫婦共演を果たしたことで、再び芸能活動を再開させます。

昭和の歌謡界カップル「森進一&森昌子」

しかし、次第に夫婦間に溝が生まれ、2005年に別居、そして離婚という結末を迎えました。離婚後、昌子さんは本格的に芸能界へ復帰します。闘病生活を送りながらも歌手やタレントとして精力的に活動を続け、2019年をもって芸能界を引退しました。

別々の道を歩むことになった二人ですが、二人の間に生まれた3人の息子たち(長男・森内貴寛さん、次男・森内智寛さん、三男・森内寛樹さん)はミュージシャンとして活躍しており、両親から受け継いだ音楽の才能をそれぞれの場所で輝かせています。

そうた
そうた

えーーっ!?森さんの子供たち、みんなミュージシャンとして活躍してるの!?それってマジで凄くない!?

スターのDNAがしっかり受け継がれてるってことだよね。「カエルの子はカエル」っていうけど、まさに才能のサラブレッドじゃん!ボク、音楽めっちゃ好きだから、そういう血筋ってホンッッッとに憧れちゃうなぁ〜。

もしさ、ボクの両親がこんなスゴイ歌手だったら、ボクも今頃ギターとかジャンジャカ掻き鳴らして、ドームでライブするような超人気ミュージシャンになれてたかもしれないのに〜!なんて、ちょっと妄想しちゃったよ(笑)

森進一について

  • 1947年生まれ、1966年にデビュー。独特のかすれ声と表現力で『おふくろさん』などの名曲を歌い上げた実力派歌手
  • 1980年に女優の大原麗子さんと結婚したが約4年で離婚、これを契機に社会貢献活動にも目を向けるようになった

森昌子について

  • 1958年生まれ、1971年に『スター誕生!』で初代グランドチャンピオンに輝き翌年デビュー
  • 山口百恵・桜田淳子と共に「花の中三トリオ」として人気を集めた
  • その後アイドルから演歌歌手に転向し「越冬つばめ」などをヒットさせた

二人の出会いと結婚

  • 離婚後の進一さんが社会福祉活動「じゃがいもの会」を立ち上げ、昌子さんが参加したことが出会いのきっかけ
  • 約1年半の交際を経て1986年10月に結婚、昌子さんは結婚を機に歌手活動を一旦引退した
  • 2001年の『第52回NHK紅白歌合戦』で夫婦共演を果たし、昌子さんが芸能活動を再開した

別れとその後

  • 2005年に別居、その後離婚
  • 昌子さんは離婚後に芸能界へ本格復帰し、2019年に引退
  • 3人の息子(森内貴寛・智寛・寛樹)はいずれもミュージシャンとして活躍している

「アントニオ猪木&倍賞美津子」波乱万丈な人生を駆け抜けた最強の戦友!

昭和を代表するスーパースター、アントニオ猪木さんと大女優・倍賞美津子さん。短い事実婚の経験があった猪木さんにとって2度目の結婚でしたが、その道のりは「燃える闘魂」そのままの激動の連続でした。数々の苦難を乗り越え、後に「戦友」となったビッグカップルの軌跡に迫ります。

ブラジル移民からプロレス界のスターへ「アントニオ猪木」

1943年生まれのアントニオ猪木さん、本名は「猪木寛至(いのき かんじ)」。13歳で家族と共にブラジルへ渡り、過酷な労働の中で陸上競技選手として大会に出場していたところを、遠征中のプロレスラー・力道山にスカウトされます。

日本へ帰国して「日本プロレス」からデビューを果たし、アメリカへの武者修行を経て実力をつけました。一度は独立して「東京プロレス」を設立するも、わずか3ヶ月で破産。その後、日本プロレスに復帰してスター選手への階段を駆け上がります。

松竹音楽舞踊学校から映画界へ飛躍した「倍賞美津子」

一方、1946年生まれの倍賞美津子さんは、大女優である倍賞千恵子さんの妹としても知られています。松竹音楽舞踊学校を卒業後、1967年に姉との共演で映画デビュー。確かな演技力で頭角を現し、数々の映画やドラマで活躍。女優としての地位を築きつつあった時期に、運命の出会いを果たします。

伝説のアリ戦と日本アカデミー賞! 頂点に立った二人のすれ違いとその後

先輩レスラーの紹介で出会った二人は、1971年11月に京王プラザホテルで列席者1500人、費用1億円という超豪華な結婚式を挙げました。しかし幸せも束の間、わずか1ヶ月後に猪木さんが日本プロレスから追放されるという大事件が起きます。

1972年1月に「新日本プロレス」を旗揚げしたものの、古巣の激しい圧力で有力選手が集まらず、経営は火の車でした。この大ピンチを、倍賞さんは妻として献身的に支えます。やがて団体は軌道に乗り、プロレス黄金時代が到来。猪木さんは「ストロングスタイル」を標榜し、異種格闘技戦を次々と仕掛け、プロボクシング統一世界ヘビー級王者モハメド・アリとの対戦を実現。その試合は海外にも衛星中継され、14億人が視聴しました。

一方の倍賞さんも、1974年に娘を出産した後に女優業を本格的に再開。日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞を受賞するなど、大女優としてのキャリアを開花させました。

「アントニオ猪木&倍賞美津子」波乱万丈な人生を駆け抜けた最強の戦友!

しかし、猪木さんの事業失敗やプロレス興行の低迷による金銭問題、さらに猪木さんの不倫騒動が持ち上がります。その後、倍賞さん自身も俳優の萩原健一さんとのスキャンダルが報じられるなど夫婦関係は破綻し、1988年に離婚。猪木さんはその後、他の女性と3度目の結婚をしています。

完全に縁が切れたかと思われた二人ですが、2002年の新日本プロレス創立30周年記念大会のリング上に、倍賞さんがサプライズで登場。離婚から十数年ぶりの劇的な再会を果たしました。その後二人は、晩年まで「戦友」のような良好な関係を保ち続けたと言われています。

激動の時代を共に戦い抜き、夫婦という枠を超えてリスペクトし合った二人。昭和のスケールの大きさを体現するような、まさに規格外のビッグカップルでした。

あかね
あかね

ぶっちゃけ、猪木さんの借金とか不倫騒動からの、倍賞さん自身のスキャンダルって……いやいや、二人とも何やってんの!?ってツッコミ入れたくなったわ!お互いすっごいエネルギー持ってるのは分かるけど、夫婦としてはちょっと大乱闘すぎない!?

でもさ、私が一番胸アツだったのは、ドロドロで離婚したはずなのに、十数年後のプロレスの記念大会でサプライズ登場して「戦友」になれたってところ!これ、完全にラグビーの試合後のノーサイドみたいじゃん。

憎み合って終わるんじゃなくて、全部の過去をひっくるめて「一緒に戦い抜いた仲間」として認め合えるのって、中途半端な生き方してたら絶対ムリだよね。スケールのデカい二人の絆がマジで熱いね!

アントニオ猪木について

  • 1943年生まれ(本名:猪木寛至)、13歳で家族とブラジルへ移民
  • 陸上競技選手として活動中に遠征中の力道山にスカウトされる
  • 帰国して「日本プロレス」からプロレスデビュー
  • 独立して「東京プロレス」を設立したがわずか3ヶ月で破産、その後日本プロレスに復帰した

倍賞美津子について

  • 1946年生まれ、大女優・倍賞千恵子の妹
  • 1967年に姉との共演で映画デビューし、確かな演技力で女優としての地位を築いた

二人の結婚と激動の歩み

  • 1971年11月、列席者1500人・費用1億円という超豪華な結婚式を挙げた
  • 結婚わずか1ヶ月後に猪木さんが日本プロレスから追放される
  • 1972年1月に「新日本プロレス」を旗揚げしたが、古巣の圧力もあり経営は苦しく、倍賞さんが献身的に支えた
  • その後、新日本プロレスは軌道に乗り、プロレス黄金時代が到来
  • 「ストロングスタイル」を標榜する猪木さんは、次々と異種格闘技戦を行った
  • モハメド・アリとの異種格闘技戦が実現、試合は海外にも衛星中継され14億人が視聴した
  • 倍賞さんは1974年に出産後に女優業を再開し、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞

離婚とその後

  • 猪木さんの事業失敗・金銭問題・不倫騒動などが重なり1988年に離婚
  • その後、猪木さんは他の女性と3度目の結婚
  • 2002年の新日本プロレス創立30周年記念大会のリングに倍賞さんがサプライズ登場、離婚から十数年ぶりの劇的な再会を果たした
  • その後は晩年まで「戦友」のような良好な関係を保ち続けた

タイトルとURLをコピーしました