9月3日は「Skyscraper Day(摩天楼の日)」 超高層ビルの歴史と雑学

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見渡す限りの青空が広がる秋、高い建物からの景色を楽しみたくなりますね!9月3日は近代建築のロマンが詰まった「摩天楼の日」です。今回は、超高層ビル誕生の歴史と変遷を簡潔に解説。後半では、明治時代の幻の施設や傑作ビルの数々も紹介。これを読めば、いつもの街にそびえる高層ビルも、少し違って見えてくるかもしれませんよ。

目次

時代を象徴する巨大建築! 摩天楼誕生の歴史

空高くそびえる「摩天楼」は、どのようにして生まれたのでしょうか。このパートでは、「Skyscraper Day(摩天楼の日)」の由来から、超高層ビル発展の歴史まで簡潔にご紹介します。

天に届く人類のロマン!「摩天楼の日」とは

毎年9月3日は「Skyscraper Day(摩天楼の日)」です。これは近代高層建築の巨匠である建築家ルイス・サリヴァンの誕生日にちなんだもので、世界の超高層ビルの歴史や景観を祝う日となっています。

「Skyscraper」は英語で「超高層ビル」を意味する言葉ですが、直訳すると「空(Sky)を削る・こする(scrape)もの」という意味です。これを日本語に訳す際、「天を摩する(こする)ほど高い楼閣」というニュアンスから「摩天楼(まてんろう)」という言葉が生まれました。

形態は機能に従う! アメリカ建築の巨匠が提唱した哲学

私たちが普段見上げる超高層ビルのデザインの原点には、一人の偉大な建築家がいます。1856年にアメリカ合衆国ボストンで生まれたルイス・サリヴァンです。彼は劇場や高層オフィスビルを多数手がけ、近代的なビル建築の基礎を作り上げました。その歴史的偉業から「アメリカ建築の三大巨匠」の一人と呼ばれています。

サリヴァンを象徴する有名な建築哲学が「form follows function(形態は機能に従う)」です。「建物のデザインはまず機能によって形が決定されるべきであり、その結果として自然と美しい形になる」という理論でした。この研ぎ澄まされた美意識は、現在の超高層ビル群にも力強く息づいています。

世界の超高層ビルの歴史と変遷

世界の超高層ビルの歴史は、アメリカ合衆国のシカゴから始まりました。1884年に完成した「ホーム・インシュアランス・ビル」は高さ約55mながら、世界で初めて鉄骨構造を採用し、これをきっかけにビルの高層化が進んでいくことになります。

その後、高層ビル建設の舞台はシカゴからニューヨークのマンハッタンへと移り、世界一の高さを目指す競争が激化。超高層ビルが林立するニューヨークの景観は「摩天楼」と呼ばれ、近代都市を象徴する存在になりました。

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そして時代は流れ、アジア地域の経済的発展と共に、超高層ビル建設の世界的中心地は欧米からアジア・中東へと大きくシフトしています。

日本の超高層ビルの夜明け

現在の日本でも当たり前のようにそびえ立つ超高層ビルですが、昔は法律でその高さが抑えられていました。1919年(大正8年)制定の「市街地建築物法」により、建物の高さは最高100尺(約31メートル)に制限されていたのです。

第二次世界大戦後には建築基準法の特例により40mを超えるビルも建てられましたが、当時の日本で最も高かった建築物は高さ約65mの国会議事堂中央塔でした。

しかし、1964年(昭和39年)の東京オリンピックを控えた建設ラッシュ期に法律が改正され、高さ規制が廃止。そして1968年、ついに日本最初の超高層ビルとなる「霞が関ビルディング」(156m)が誕生。日本の超高層ビル建築時代が幕を開けました。

あかね

超高層ビルって、よく考えると不思議だよね。土地の有効利用とか金儲けとか、理由はいろいろあるんだろうけど、コストとかリスクのデメリットもある。

それなのに、人間はわざわざ途方もない時間と労力をかけて、空を目指して建物を作り続けてきた。それって、きっと人間の本能みたいなものなんだと思う!

自分の限界を超えてもっと高く、もっと上へって挑み続けるエネルギー! 超高層ビルって、人間の尽きることの無い情熱が形になったものなのかもしれないね。

明治の浅草に建てられた人工の山「富士山縦覧場」

現代の私たちは、超高層ビルの展望台からの景色を当たり前のように楽しんでいますが、明治時代にもその先駆けとなる「富士山縦覧場(ふじさんじゅうらんじょう)」という木造建造物がありました。

きっかけは1886年(明治19年)、浅草寺の五重塔修繕工事です。周囲に組まれた足場に「1銭」の料金で登れるようにしたところ、高い見晴らしが大人気に。これを見た寺田為吉は「最初から登ることを目的とした建物を作れば絶対に大儲けできるはずだ」とビジネスチャンスを確信します。

大した資産もなかった為吉の計画は、東京府から実現性を疑われましたが、彼は並外れた行動力と交渉力を発揮し、建築費用を出してくれる出資者を集めることに成功します。そして、1887年(明治20年)、東京の浅草に富士山を模した巨大な施設が誕生すると、わずか1ヶ月で出資金の3分の2を回収するほどの人気となり「浅草富士」とも呼ばれました。

東京府東京市浅草区「富士山縦覧場」
東京府東京市浅草区「富士山縦覧場」

しかし、台風での被害や人気の低迷などによって、1890年(明治23年)には取り壊されています。

そうた

ボク、この記事を読んで思ったのは、昔の人たちもボクらと同じように「高いところからの景色」が大好きだったってことだよ!

百年以上時代が離れてても、爽快な眺めにワクワクする純粋な気持ちは、ずっと変わらないんだなって思ったら、なんだか親近感が湧いてきたよ。

たった数年で取り壊されちゃったのはちょっともったいない気もするけど、その「一瞬だけドカーン!と盛り上がってパッと消える」って感じも、なんか潔くていいよね。

もしボクがタイムスリップできたら、当時の人たちと一緒に「浅草富士」のてっぺんで大はしゃぎしたいな~。

世界の空を彩る摩天楼の傑作ビル7選

ニューヨークから東京、さらにドバイまで、見る者を圧倒する世界の摩天楼。このパートでは、世界の街にそびえ立つ超高層ビルの傑作を紹介します。

現代の複合施設の先駆け! サリヴァンの傑作「オーディトリアム・ビル」

1889年、アメリカ合衆国のシカゴに高さ106mの「オーディトリアム・ビル」が誕生しました。「アメリカ建築の三大巨匠」の一人であるルイス・サリヴァンらの設計による、現代の複合商業施設の先駆けとも言える名建築です。

ニューヨークのメトロポリタン歌劇場に匹敵する世界最高峰の劇場を目指して構想され、4300席の劇場をはじめ、400室のホテルやオフィスを併設した、当時としては斬新な複合商業施設でした。

1889年の開場式にはベンジャミン・ハリソン大統領も出席して華々しく幕を開け、シカゴ交響楽団の最初の本拠地としても親しまれました。現在もその歴史的価値が評価されており、1975年にアメリカ合衆国の国定歴史建造物に指定されています。

摩天楼の頂上決戦! ニューヨークの象徴「クライスラー・ビルディング」

1930年、アメリカ合衆国ニューヨークに誕生した「クライスラー・ビルディング」。自動車メーカー「クライスラー」の創業者によって、世界一の超高層ビルを目指して着工された高さ320mの名建築で、建物の各所に自動車をモチーフとした装飾が施されているのも見どころです。

建設中には「バンク・オブ・マンハッタン・トラスト・ビル」と世界一の高さを激しく競い合い、度々計画は変更されました。最後はビルの上に38メートルの尖塔を追加するという奇策で、見事に世界一の超高層ビルとなります。しかし、その栄冠は長く続かず、翌1931年に完成したエンパイア・ステート・ビルディングにあっさりと抜かれてしまいました。

世界一の座は失いましたが、アメリカ合衆国のシンボルの一つとして、今もニューヨークにそびえ立っています。

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「キングコング」でも有名!「エンパイア・ステート・ビルディング」

世界一の高さの超高層ビルとなるべく、1931年にアメリカ合衆国ニューヨークに建設された「エンパイア・ステート・ビルディング」。高さ443mを誇るこの建物は、ニューヨーク州の愛称「エンパイア・ステート(帝国州)」にちなんで名付けられました。

アールデコ建築の最高峰の一つであり、展望台からはニューヨーク市内を一望可能。ワールドトレードセンターの完成まで42年間も世界で一番高いビルとして君臨し、映画「キングコング」の名場面によって、その姿はさらに世界に知られることになりました。

その輝かしい歴史の裏では、ホテルニュージャパンのオーナーとしても知られる横井英樹が買収し、後の大統領ドナルド・トランプも巻き込んで泥沼の法廷闘争を繰り広げたというエピソードもあります。

レン

エンパイア・ステート・ビルディングと聞いて大衆が思い浮かべるのは、その洗練された美しさか、大作映画のドラマチックなワンシーンだろう。だが、この記事が提示する現実はもっと泥臭く、生々しいものだ。

その高さが世界一を40年以上も誇ったという華々しい光の裏で、日本の買収王や後の独善的な大統領が、この世界的なランドマークを巡って、泥沼の法廷闘争を繰り広げていたという事実は示唆に富んでいる。

どれほど美しいモニュメントを建てようとも、その足元では常に人間たちが金と利権に群がり、醜い争いを続けているのだ。

このビルによじ登ったキングコングは打ち倒されたというが、現実の摩天楼に群がる強欲な人間たちの方が、よほど手に負えないモンスターだといえるだろう。

悲劇を越えて蘇る摩天楼!「ワールドトレードセンター」

1973年にアメリカ合衆国ニューヨークに誕生した高さ527mの「ワールドトレードセンター」。日系アメリカ人のミノル・ヤマサキが設計したツインタワーを中心に全7棟のビルで構成され、長らくニューヨークの象徴として親しまれました。

しかし2001年9月11日、イスラム過激派テロ組織による航空機を使った同時多発テロが発生し、ツインタワーは崩壊。多数の犠牲者を出す悲劇に見舞われます。

その跡地「グラウンド・ゼロ」で再建計画が進められ、2014年に「ワン・ワールドトレードセンター」が完成。アメリカ独立宣言の年である1776年にちなみ、高さ1776フィート(約541m)に設計されました。全6つの超高層ビル群の中には、同時多発テロの犠牲者を悼むメモリアルも設けられています。

台風の揺れを巨大な球が防ぐ! 台湾のシンボル「台北101」

2004年に台湾の台北市に誕生した、高さ509mの「台北101(タイペイいちまるいち)」。地上101階建てであることが名前の由来であり、外観は中華風の宝塔や竹の節をイメージしてデザインされています。

また、ビル内部には東芝製の高速エレベーターが導入され、世界最速としてギネスブックに認定されていました。(その後、他の超高層ビルのエレベーターによって更新)

さらに、台風などの強風対策として、建物内部に重さ660トンの巨大なチューンド・マスダンパー(制震球)が吊り下げられているなど、伝統的な外観と最新のテクノロジーが融合した台湾のランドマークです。

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バブル期の巨大なモニュメント!「東京都庁舎」

1990年に東京都新宿区に誕生した、高さ243mの巨大建築「東京都庁舎」。第一本庁舎、第二本庁舎、議会議事堂の3つの建物から構成され、完成当時は日本一の高さを誇りました。設計を担当したのは、日本を代表する建築家・丹下健三です。

第一本庁舎は、パリのノートルダム大聖堂を思わせる左右対称の双塔を取り入れ、重厚感のある外観に仕上げられました。さらに議事堂前の円形広場には、バチカンのサン・ピエトロ広場を連想させるデザインが採用されています。

バブル景気のさなかに計画された巨大プロジェクトで、当時の東京都知事・鈴木俊一のもとで建設が進められました。現在では展望室から東京の街を一望できる観光スポットとしても親しまれ、新宿のランドマークとなっています。

ゆかり

以前、気分が落ち込んでいる時に、ふらっと東京都庁の展望室に立ち寄ったことがあるんです。

眼下に広がる東京の夜景を眺めていると、こんなにもたくさんの人が、それぞれの場所で一生懸命に生きているんだなと感じて、なんだかとても励まされました。

私たちが普段何気なく眺めている街並みには、それを創った人たちの汗や、街を発展させようとした人たちの思いが込められてるんですよね。

また展望室に行くことがあったら、目の前に広がる風景を、これまでとは少し違った気持ちで眺めてみたいと思います。

砂漠の花が天を衝く! 摩天楼の頂点「ブルジュ・ハリファ」

アラブ首長国連邦(UAE)のドバイにそびえ立つ「ブルジュ・ハリファ」は、2010年に完成した地上163階建て、高さ829mの世界一の超高層ビルです。

その美しい外観は「ヒメノカリス」という花の形状から着想を得ており、Y字型で中央のコアを3方向から支える「バットレスト・コア」という構造によって驚異的な安定性を保っています。

このビルの建設当初は「ブルジュ・ドバイ」という名称で呼ばれていました。しかし世界金融危機が直撃し、資金難に陥ったドバイへ巨額の経済援助を行った、当時のUAE大統領ハリーファ・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーンへの感謝を込め、「ブルジュ・ハリファ」となりました。

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