9月4日は「クラシック音楽の日」天才たちのエピソードから珍曲までの雑学大紹介!

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夏の日差しも少しずつ和らぎ、芸術の秋がやってきましたね。9月4日は、クラシック音楽の魅力を多くの人に知ってもらうための「クラシック音楽の日」です。今回は、その成り立ちから、大作曲家たちのエピソード、名曲&珍曲まで、クラシック音楽のトリビアをたっぷりご用意しました。普段クラシックを聴かない人でもこの記事を読めば、クラシック音楽がもっと身近に感じられるかもしれませんよ?

目次

時代を超えて愛される「クラシック音楽」の歴史と魅力

壮大なオーケストラの響きや美しいピアノの旋律など、私たちの心を魅了するクラシック音楽。その歴史は長く、時代とともにそのスタイルも大きく変化してきました。このパートでは、そんな「クラシック音楽」に関する雑学を紹介します。

9月4日は「クラシック音楽の日」

毎年9月4日は「ク(9)ラシ(4)ック」の語呂合わせから、日本音楽マネージャー協会によって「クラシック音楽の日」に制定されています。より多くの人にクラシック音楽の魅力を知ってもらい、日常的に親しむ機会を作ることが目的の記念日です。

そもそも「クラシック音楽」とは?

「クラシック音楽」とは、西洋の伝統的な芸術音楽全般を指す言葉です。時代ごとに様々な様式が生み出され、ピアノやバイオリンなどを用いたオーケストラや室内楽、オペラなど、多様な形態で演奏されます。後世に受け継がれるべき「古典」として、今なお世界中で名曲の数々が演奏され続けています。

時代を彩る「クラシック音楽」の進化と歴史

クラシック音楽の歴史は、中世ヨーロッパのキリスト教会で歌われていた「グレゴリオ聖歌」などの宗教音楽から始まりました。その後、17世紀初頭からの「バロック音楽」時代には、バッハらが対位法を駆使した傑作を作曲します。続く18世紀半ばからの「古典派音楽」では、モーツァルトやベートーヴェンといった天才作曲家たちが登場し、ソナタ形式や交響曲を完成させました。

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さらに19世紀の「ロマン派音楽」時代になると、ショパンやチャイコフスキーらが個人の感情や劇的な表現を重んじるようになり、より自由で豊かな名曲が次々と誕生します。このように時代ごとに形を変えながら、クラシック音楽は進化を遂げてきたのです。

日本における「クラシック音楽」の歴史

日本にクラシック音楽が本格的にもたらされたのは、明治時代以降のことです。文明開化の波に乗って西洋音楽の教育が導入され、軍楽隊や学校での音楽教育を通じて少しずつ人々の耳に届くようになりました。大正時代の頃には、山田耕筰をはじめとする日本人作曲家が西洋の技法を用いて独自の作品を生み出し始めます。

昭和にかけては来日する海外の演奏家も増え、レコードやラジオの普及によって一般庶民の生活にもクラシック音楽が浸透していきました。現在では日本発の素晴らしい演奏家やオーケストラが活躍しており、日本独自の豊かなクラシック文化を育んでいます。

天才作曲家たちと「クラシック音楽」を支えたパトロン

クラシック音楽の発展において、王侯貴族といった「パトロン(後援者)」や教会などの存在は不可欠でした。当時の音楽家たちは、彼らに雇われることで生活を保障され、作品を生み出していたのです。「交響曲の父」と呼ばれるハイドンは、ハンガリーの有力貴族であるエステルハージ家に長年仕え、安定した環境の中で数多くの名曲を残しました。

一方、モーツァルトはザルツブルクの大司教に仕えていましたが、自らの芸術的自由を求めて対立し、ついには決別してしまいます。その後、モーツァルトはウィーンへ移り住み、フリーランスの音楽家として活動の道を切り開いていきました。

続くベートーヴェンは、特定の主人に仕えるのではなく、複数の貴族から年金のような形で支援を受け、独立した芸術家として活動することになります。社会構造の変化などにより、彼ら音楽家の社会的立場も変化していきました。

あかね

私、ぶっちゃけクラシック音楽って全然聴かないから、昔の音楽家のお金事情なんて考えたこともなかったよ。

でも、教科書に載ってるような音楽家たちも、王侯貴族っていう「パトロン」に雇われて曲作ってたなんて、なんかプロスポーツのスポンサー契約みたいだよね!

ハイドンって人みたいに安定した環境で結果を出し続けるのもプロとしてスゴイけど、「俺の芸術的自由が大事だ!」って偉い人とケンカしてフリーになるモーツァルト、めちゃくちゃロックじゃん!

楽な道を捨ててでも、自分のやりたい音楽を貫くその情熱、最高にカッコいいね。その後の音楽家たちもきっと、社会に揉まれたり、自分との葛藤があったりしながら、後世に残る曲を作ったんだろうね。

交響曲みたいな長〜い曲を聴くのはちょっとダルいけど、5分くらいでサクッと聴けてガツンとくる曲があるなら、いつものプレイリストに組み込んでみるのも全然アリかも!

心を癒やす「クラシック音楽」のリラックス効果

クラシック音楽には、自律神経を整え、心身をリラックスさせる効果があると言われています。テンポがゆるやかな曲を聴くと、リラックスしている時に多く現れる「α波」が優位になり、「副交感神経」が活発になることで、心身が緊張から解放されます。就寝前などに聴くことで、ストレス軽減やリフレッシュ効果が期待できます。

ビギナー必見! 楽しく学べる「クラシックTV」

クラシック音楽に興味があっても「難しそう」「何を聴けばいいか分からない」というビギナーにぴったりなのが、NHK Eテレの番組「クラシックTV」です。ピアニストの清塚信也さんと、歌手でモデルの鈴木愛理さんがMCを務め、毎回幅広いテーマでクラシック音楽の魅力をポップに紹介してくれます。クラシックの枠にとらわれず、ジャズやアニメ音楽などと絡めた放送回もあり、クラシック音楽を楽しみながら自然と知識が身につくおすすめの番組です。

9月4日は、時代を超えて受け継がれる名曲に耳を傾けてみてはいかがでしょうか。その敷居をまたいだ先には、心を揺さぶる豊かな世界が広がっています。

クラシック音楽の歴史を創った大作曲家7選

クラシック音楽を語るうえで欠かせないのが、その時代を代表する作曲家たちの存在です。このパートでは、著名な7人をピックアップ。その人物像を簡潔に紹介します。

クラシック界の「音楽の父」! ヨハン・ゼバスティアン・バッハ

音楽室の肖像画でもおなじみ、「音楽の父」とも呼ばれるヨハン・ゼバスティアン・バッハは1685年、ドイツのアイゼナハという町で生まれました。バッハ家は、何代にもわたって50人以上の音楽家を輩出してきたという、超がつくほどの音楽の名門一族です。

幼くして両親を亡くしたバッハですが、兄の元で音楽の才能を開花させ、宮廷楽長や教会の音楽監督として長く活躍しました。また、2人の妻との間に20人もの子供をもうけた子だくさんな父親としても知られています。

晩年は目の病気を患い、イギリスの眼科医による手術が失敗して失明状態に。その手術の後遺症などもあり、1750年に65歳でこの世を去りました。死後は一度世間から忘れ去られましたが、約80年後に再評価され、現在に至る揺るぎない地位を確立しています。

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永遠の神童! ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

「神童」と呼ばれ、数々の名曲を残したヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、1756年、オーストリアのザルツブルクで誕生しました。宮廷音楽家だった父親は息子の稀有な才能に気づき、幼い頃からヨーロッパ中を演奏旅行に連れ回しました。

大人になった彼は、窮屈な宮廷を飛び出してウィーンでフリーランスの音楽家として独立します。次々と名曲を生み出して大ヒットを飛ばすものの、金銭感覚が麻痺していたこともあり、稼いだ金を浪費し、晩年には借金まみれの生活へと転落してしまいます。

そして1791年、自身の死を予感しながら鎮魂歌を作曲中に、わずか35歳の若さでこの世を去ります。死因は感染症や毒殺説など諸説あり、今もはっきりしていません。彼の遺体は共同墓地に埋葬され、その際誰も同行が許されなかったため、その埋葬場所も分からないままだそうです。

絶望から這い上がった天才! ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

「運命」や「第九」など、誰もが知る名曲を残したルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、1770年、ドイツのボンで生まれました。宮廷楽団の歌手であった父親は酒癖が悪く、幼い頃から音楽の才能を見せたベートーヴェンを第2のモーツァルトにしようと、虐待に近い音楽教育を行いました。

その後、大人になり音楽家として軌道に乗り始めた20代後半、最大の悲劇がベートーヴェンを襲います。音楽家にとって命とも言える「聴力」が衰え始めたのです。絶望のあまり遺書をしたためるほど追い詰められましたが、音楽への情熱でその苦難を乗り越え、耳が完全に聞こえなくなってからも数々の傑作を生み出し続けたのです。

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音楽にすべてを捧げたベートーヴェンは、1827年に56歳でこの世を去ります。その葬儀には約2万人もの市民が参列し、その中にはシューベルトの姿もありました。

「歌曲の王」フランツ・シューベルトのボヘミアンな人生 

「魔王」や「野ばら」など、音楽の教科書でおなじみの名曲を生み出したフランツ・シューベルト。彼は1797年、音楽の都オーストリアのウィーン郊外で生まれました。

父親は学校の校長先生で、シューベルト自身も一度は父の学校で教師として働きました。しかし、音楽への情熱を抑えきれず、数年で学校を辞めてしまいます。フリーランスの作曲家として活動したシューベルトは常に貧困状態でした。それでも彼の人柄を慕う友人たちが食事や住まいを援助し、「シューベルティアーデ」と呼ばれる集まりを開いて彼の活動を支え続けました。

数え切れないほどの美しいメロディを残したシューベルトですが、1827年に尊敬していたベートーヴェンが亡くなると、その翌年、自らも31歳という若さで亡くなりました。「尊敬するベートーヴェンのそばに埋葬してほしい」というシューベルトの最期の願いは叶えられ、ベートーヴェンの墓の隣で眠りについています。

祖国を愛した「ピアノの詩人」フレデリック・ショパン

「ピアノの詩人」と称されるフレデリック・ショパンは、1810年にポーランドのワルシャワ近郊で生まれました。フランス人の父とポーランド人の母を持ち、幼い頃から音楽の才能を発揮して育ちます。

彼の人生の大きな転機は20歳の時。音楽家として羽ばたくためにポーランドを離れた直後、祖国でロシア支配に抗う武装蜂起が起こり、ほどなくして鎮圧されてしまいます。帰る場所を失ったショパンはパリに拠点を移し、二度と祖国の土を踏むことはありませんでした。

パリで大成功を収めたショパンは、その後、男装の女性作家ジョルジュ・サンドと恋に落ちます。彼女との生活の中で数々の傑作が生まれましたが、元々病弱だったショパンは結核を患い、二人の関係が破綻した後は更に弱っていきました。そして1849年、数々の名曲を残しながらも39歳という若さでこの世を去りました。

ショパンは生涯、故郷ポーランドへ帰ることができませんでした。死後、遺言に従って取り出された心臓は、姉の手でポーランドへ持ち帰られ、ワルシャワの聖十字架教会に収められています。

夜逃げから革命まで リヒャルト・ワーグナーの超・波乱万丈な生涯

「楽劇」の創始者として知られるリヒャルト・ワーグナーは、1813年にドイツのライプツィヒで生まれました。生後すぐに実の父を亡くし、俳優の義父に育てられた影響で、若い頃から演劇や文学に強い関心を抱き、それらは後の創作活動にも大きな影響を与えました。

優れた作曲家だったワーグナーですが、彼の生涯は波乱万丈そのものでした。金遣いが極端に荒く、膨大な借金を作ってはそれを踏み倒し、債権者から逃れるために夜逃げすることも。さらに、革命運動に参加したことが原因で、指名手配犯として他国へ亡命する羽目になります。

そんなワーグナーを救ったのが、彼を崇拝するバイエルン国王ルートヴィヒ2世でした。王からの莫大な援助で借金を返済し、さらにはワーグナーが理想とする劇場まで建設しました。数々のスキャンダルを巻き起こしながらも我が道を貫いたワーグナーは、1883年に滞在先のヴェネツィアで心臓発作により69歳で急死しています。

そうた

いやいやいや、ちょっと待って!ワーグナーさん、マジで人生が破天荒すぎてツッコミが追いつかないよ!!

スゴイ作曲家なのに、借金踏み倒して夜逃げしたり、革命に参加して指名手配されたりって、波乱万丈にもほどがあるよ!そばにいたら絶対振り回されるから、友達にはなりたくないタイプだよ(笑)

普通なら「もうちょっと平和に生きようよ!」って言いたくなるところだけど、そこまでして自分の理想とする音楽を追い続けたんだから、ものすごい情熱の持ち主だったんだろうね。

最後は突然死んじゃったらしいけど、これだけ自分の思い通りにやりたい放題できれば、きっと本人は大満足だったんじゃないかな〜。

官僚からバレエ音楽の巨匠へ! ピョートル・チャイコフスキー

バレエ音楽「白鳥の湖」などで知られるピョートル・チャイコフスキーは、1840年、ロシアの鉱山技師の家庭に生まれました。幼い頃から音楽の才能を見せていましたが、サンクトペテルブルクの法律学校に進み、卒業後は法務省の公務員として働き始めます。しかし、音楽への情熱を捨てきれず、23歳で音楽院へ入学し、法務省を離れる道を選びました。

その後、チャイコフスキーはモスクワ音楽院の教授となり、作曲活動に本格的に取り組みます。作曲家としての活動を始めたチャイコフスキーですが、私生活ではさまざまな苦悩を抱えていました。結婚生活の破綻 により心身を疲弊し、チャイコフスキーはスイスなどで療養の日々を送ることになります。

そんなチャイコフスキーの作曲活動を支えたのは、ナジェジダ・フォン・メック夫人という富豪の未亡人でした。二人は文通のみの交流を続け、彼女からの多額の資金援助を受けたチャイコフスキーは数々の傑作を生み出しました。晩年には世界的な名声を手に入れますが、1893年に53歳で急死しています。死因は生水を飲んだことによるコレラ感染とされていますが、あまりに突然の死だったため、今でも憶測を呼ぶ最期となっています。

クラシック音楽から現代音楽まで 名曲&珍曲16選!

クラシック音楽には、長い年月を経ても愛され続ける名曲が数多くあります。そして、その流れを継いだ現代音楽には、それまでの常識を覆す前衛的な曲が存在します。このパートでは、音楽の歴史に名を残す個性豊かな16曲をご紹介します。

癒やしの名曲 バッハ「G線上のアリア」

テレビやCMなどで誰もが一度は耳にしたことがある、心安らぐ美しいメロディ。この曲は「音楽の父」と呼ばれるヨハン・ゼバスティアン・バッハによって作曲されました。

この曲は元々は、バッハが書いた「管弦楽組曲第3番」という曲の一部でした。それを19世紀後半になり、ドイツのヴァイオリニストであるアウグスト・ヴィルヘルミが、ヴァイオリンとピアノのために編曲したことで一躍有名になりました。ヴィルヘルミが、ヴァイオリンにある4本の弦のうち、一番低い「G線」という弦だけでメロディを弾けるようにアレンジしたことから「G線上のアリア」と呼ばれています。

ちなみに「アリア」とは、オペラなどで歌われる「叙情的な独唱曲」のこと。まるでヴァイオリンが優しく歌いかけているかのような美しい旋律は、聴く人を癒やしの世界へと誘ってくれます。

「無音」に込めた音楽の哲学! ジョン・ケージ「4分33秒」

音楽の歴史において、異色の存在の一人がアメリカの実験音楽家ジョン・ケージです。彼は音楽家にとどまらず、東西の哲学を修めた思想家であり、熱心なキノコ研究家でもあるというユニークな人物でした。

そんな彼が1952年に発表したのが、伝説の問題作「4分33秒」です。この曲の最大の特徴は、演奏者がステージ上で「何も演奏しない」こと。では、何も聴こえないのかというと、そうではありません。会場にいる人の咳やイスが軋む音、外から聞こえてくる音など、その場で偶然生まれる音が耳に入ります。

つまり、この「4分33秒」は何も演奏しないことで「音楽とは何か」を問いかける作品なのです。

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天才の遺作! モーツァルト「レクイエム ニ短調」

クラシック音楽の中でも、ひときわドラマチックな背景を持つのが、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの「レクイエム ニ短調」です。レクイエムとは「死者のためのミサ曲(鎮魂歌)」のこと。

1791年、モーツァルトの元に匿名の依頼人から、このレクイエムの作曲依頼が舞い込みます。体調を崩していた彼は「これは自分自身のためのレクイエムだ」と怯えながら筆を進め、同年冬に35歳の若さで息を引き取りました。

モーツァルトが書き上げることが出来たのは全14曲中、最初の第1曲のみ。残りは彼の残したスケッチをもとに、弟子たちが完成させました。オーケストラと合唱、そして独唱者が織りなす重厚な響きは、聴く者の心を強く揺さぶります。

果てしない繰り返しに人は何を想う? エリック・サティ「ヴェクサシオン」

フランスが生んだ「音楽界の異端児」こと、エリック・サティ。そんな彼が遺した異色作の一つが「ヴェクサシオン」です。題名はフランス語で「嫌がらせ」「癪の種」といった意味を持ちます。

わずか1分程度のピアノ曲ですが、「このモチーフを連続して840回繰り返すこと」というとんでもない指示がされています。サティの生前には演奏されることがなく、世界で初めて全曲が演奏されたのは1963年のニューヨークでのこと。ジョン・ケージら複数のピアニストが交代で演奏し、完奏するまでに約18時間40分もかかりました。

奇抜なアイディアのこの曲ですが、後のミニマル・ミュージックなどの先駆け的な作品でもあるんですよ。

ゆかり

わずか1分の曲を840回も繰り返すなんて、最初に知った時は本当に驚いてしまいました。

でも、この奇抜なアイディアにフランス人らしいエスプリの効いた自己主張や、当時の音楽に対するチクリとした皮肉が込められているようで、思わず笑ってしまいました。

そんなサティの少し意地悪でユーモラスな曲を、18時間以上もかけて真剣に完奏したピアニストたちがいたというエピソードも面白いですよね。

一見すると意味のないような演奏指示に対して、大人が何人も集まって大真面目に情熱を注いで演奏する。そんなユーモアが、なんだかとても人間らしいと思いました。

クラシックの超定番! ベートーヴェン「交響曲第5番」

衝撃的な幕開けで知られる、クラシック音楽の中で最も有名な曲といっても過言ではない交響曲第5番。ドイツの偉大な作曲家、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンによって作曲されたこの曲は、彼が難聴に苦しみながらも、数々の名曲を生み出した時期に作られました。

この4楽章構成のオーケストラ曲の最大の魅力 は、その劇的な展開にあります。第1楽章の重苦しく緊迫した雰囲気から始まり、最後の第4楽章では希望に満ちた輝かしいメロディへと変化します。

この曲は、日本では「運命」というタイトルが知られています。これは、ベートーヴェンが曲の冒頭について「運命が扉を叩く音だ」と語ったという逸話に由来しますが、その信憑性には疑われる点があり、海外では「運命」とは呼ばれず、単に「交響曲第5番」と呼ばれるのが一般的だそうです。

ピアノから聞こえる死の叫び ヘンリー・カウエル「バンシー」

アメリカ合衆国の作曲家ヘンリー・カウエルは、20世紀の実験的な音楽を切り開いた先駆者の一人。彼が1925年に作曲した「バンシー」は、その独創性を象徴するピアノ曲です。

タイトルの「バンシー」とは、アイルランドなどの伝承に登場する女妖精のこと。死期が近い者の家の近くに現れ、すすり泣いたり悲痛な声で叫んだりすると言われています。この妖精の不気味な叫びを描くため、カウエルは「ストリング・ピアノ」という特殊な奏法を用いました。鍵盤を一切使わず、ピアノの内部の弦を直接指ではじいたりこすったりして演奏することで、背筋が凍るような音色を生み出しています。

ちなみにカウエルは1957年に日本を訪れており、雅楽に着想を得た「Ongaku」という楽曲も残しました。

わずか数時間で生み出された名曲 シューベルト「魔王」

劇的な展開とスリリングなメロディで強烈なインパクトを残す名曲、それがフランツ・シューベルト作曲の「魔王」です。この曲が誕生したのは1815年。当時18歳だったシューベルトが、ドイツの文豪ゲーテの詩に激しく心を揺さぶられ、わずか数時間という驚異的なスピードで一気に書き上げたと言われています。

編成は「独唱」と「ピアノ」というシンプルな構成ですが、内容はまるで1本の短編サスペンス映画のよう。最大の聴きどころは、1人の歌手が声のトーンを巧みに変化させ、「語り手」「父親」「息子」「魔王」の4つのキャラクターを演じ分けるところです。

さらに、ピアノ伴奏は、馬が全力で夜道を疾走する足音を激しい連打で表現しており、ピアニストにとっても指が悲鳴をあげるほどの難曲。最後まで息をつかせぬ緊迫感と、衝撃のラストシーンは必聴です。

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100台のメトロノームが奏でる世界! リゲティ・ジェルジュ「ポエム・サンフォニック」

既存の音楽の枠を飛び越えた作品が、ハンガリー系オーストリア人の作曲家リゲティ・ジェルジュが1962年に発表した「100台のメトロノームのためのポエム・サンフォニック」です。

この曲の演奏方法は、異なるテンポに設定された100台の機械式メトロノームを一斉に作動させるだけ。最初は無数のメトロノームが時を刻む音が鳴り響きますが、メトロノームは少しずつ動きを止めていき、最後は完全な静寂が訪れます。その解釈は聴衆に委ねられていますが、人生や死を表現したものだと考えられています。

リゲティはこの他にも前衛的で実験的な作品を多く残しました。その世界観は、映画界の巨匠スタンリー・キューブリック監督の耳にも留まり、彼の名作映画にも度々使用されています。

燃やされるはずだった名曲! ショパン「幻想即興曲」

「ピアノの詩人」と呼ばれたフレデリック・ショパン。彼の数あるピアノ・ソロ曲の中でも、圧倒的な知名度と人気を誇るのが「幻想即興曲」です。

右手と左手で異なるリズムを刻む疾走感溢れる華麗なメロディから、中間部に入ると一転して、夢見るような甘く美しい旋律がゆったりと奏でられ、ふたたび冒頭の激しいリズムへと戻っていく劇的な展開が聴く者の心を掴んで離しません。

実はショパン自身は、この曲を出版するつもりがなく、「私の死後は楽譜を燃やしてほしい」と遺言を残していました。しかし彼の死後、親友のユリアン・フォンタナがこの曲が葬られることを惜しみ、遺言に背いて出版したというエピソードがあります。

宇宙の神秘と不安が聴こえる? リゲティ・ジェルジュ「アトモスフェール」

「メロディのない曲」と聞くと、どんな曲を想像しますか?実験的な作品で知られる作曲家リゲティ・ジェルジュが1961年に発表した「アトモスフェール」は、まさにそんな一曲です。

フランス語で「大気」や「雰囲気」を意味するこの曲は、多数の楽器が音の塊を形成する「ミクロポリフォニー」という手法が用いられています。その刻々と変化する響きは、緊張感や不安など様々な感情を呼び起こし、従来のクラシック音楽とは一線を画す神秘的な世界を作り上げています。

その音楽性に注目したのが、映画監督スタンリー・キューブリックでした。彼は代表作「2001年宇宙の旅」の劇中で「アトモスフェール」を効果的に使用し、リゲティの名前と楽曲は一躍世界中の映画ファン、音楽ファンの間で広く知られるようになりました。

初演は大失敗? チャイコフスキー「白鳥の湖」

「三大バレエ」の一つとして世界中で愛される「白鳥の湖」。ロシアの巨匠ピョートル・チャイコフスキーが、モスクワのボリショイ劇場からの依頼を受けて書き上げた壮大なバレエ音楽です。

悪魔の呪いで白鳥に姿を変えられたオデット姫と、王子ジークフリートの悲恋を描いた本作。今でこそバレエの代表的な作品となっていますが、ダンサーなどのレベルの低さや、従来のバレエ音楽とは異なる曲が聴衆に受け入れられなかったことなどから、初演は不評に終わったと言われています。

また、全曲を演奏すると約2時間半もかかる大作であるため、コンサートではおいしいところだけを抜粋した「組曲」という形で演奏されるのが一般的です。「2時間もあったら、長すぎて眠くなりそう…」と心配なビギナーの方でも、名曲のハイライトだけを気軽に楽しめるのでおすすめですよ。

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大空がステージ!? シュトックハウゼン「ヘリコプター弦楽四重奏曲」

ドイツの現代音楽を代表する作曲家、カールハインツ・シュトックハウゼン。その異色作が「ヘリコプター弦楽四重奏曲」です。

これは上演時間が約28時間にも及ぶという、長大なオペラ「光」の「第3部の第3場」にあたる楽曲です。最大の特徴は、なんといってもその特異な演奏スタイル。4人の奏者(ヴァイオリン2名、ヴィオラ1名、チェロ1名)がそれぞれ別々のヘリコプターに乗り込んで上空で演奏し、その映像と音声を地上のコンサートホールに中継するという型破りな作品です。

この作品が生まれたきっかけは、シュトックハウゼンが、弦楽四重奏の奏者たちがヘリコプターに乗って演奏する夢を見たことからだそうです。まさにクラシック音楽の常識を空高く吹き飛ばすような作品ですね。

勇壮な響きで駆け抜ける ワーグナー「ワルキューレの騎行」

映画やCMのBGMとしてもよく使われる、勇ましく激しいメロディ。それがドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーの「ワルキューレの騎行」です。

この曲は単独の曲ではなく、北欧神話をベースにした壮大なオペラ(楽劇)「ニーベルングの指環」の第2作目となる「ワルキューレ」の第3幕の冒頭で演奏されます。その特徴は、大編成のオーケストラが奏でる勇壮なメロディ。金管楽器が高らかに鳴り響き、ワルキューレたちが天を駆ける姿を表現しています。

この曲を一躍世界的に有名にしたのは、巨匠フランシス・フォード・コッポラ監督の映画「地獄の黙示録」です。ヘリコプター部隊が村を襲撃するシーンで大音量で流され、その強烈なインパクトから、ワーグナーの曲の中でも最も有名なものの1つとなりました。

コンサートがオフィスに!? ルロイ・アンダーソン「タイプライター」

クラシック音楽には、思わずクスッと笑ってしまうようなユニークな曲も存在します。アメリカの作曲家ルロイ・アンダーソンが1950年に発表した「タイプライター」はその代表格です。

この曲は、なんと本物のタイプライターを打楽器として使用します。もちろんタイプライターだけで演奏されるわけではなく、軽快なオーケストラの演奏を背景に、タイプライターのキーを打つ音やベルの音などがリズミカルに加わります。タイプライターの演奏者がオーケストラをバックに、キーを叩き続ける姿は視覚的にもユーモアたっぷりです。

アンダーソンは本作のように、日常の音や遊び心を取り入れた、クラシック初心者でも楽しめる親しみやすい楽曲を数多く生み出しました。紙やすりを楽器として使った「サンドペーパー・バレエ」というユニークな作品もあるんですよ。

アキカズ

「タイプライター」を楽器にするとは、アンダーソンという男は随分と変わったことを考えたものだな。

紙やすりまで音楽に使うと聞くと、儂のような職人からすると「何でもアイディアを出せばいいってもんじゃない」と一言言いたくなるな。

しかし、だ。タイプライターの音をオーケストラの中に組み込み、それを軽妙な音楽として成立させたというのなら話は別だ。

職人の世界でも、頑固に古いやり方を守るだけでは先細りになることがある。ふとした遊び心を取り入れた時に、これまでにない新しい作品が生まれることもあるのだ。

伝統の形と新しいアイディアの融合。これもまた、立派な職人技と言えるかもしれんな。

演奏時間1000年! その名も「ロングプレイヤー」

クラシック音楽で演奏時間が長い曲といえば、約15時間かかるリヒャルト・ワーグナーの「ニーベルングの指環」が有名です。しかし現代には、さらに桁違いの曲が存在します。

イギリスの元パンクバンドのミュージシャン「ジェム・ファイナー」が手がけた「ロングプレイヤー」は、なんと演奏時間が「1000年」という驚異の楽曲です。チベットの鈴や銅鑼などを用いた20分20秒の曲をベースに、コンピュータープログラムが途切れることなく新たなメロディを生成し続けます。

ロンドンの大規模娯楽施設「The O2」で演奏されているこの曲は、2000年1月1日から2999年12月31日まで続き、3000年1月1日には再び最初に戻る設計になっているそうです。

「日常」という名の音楽 ジョン・ケージ「0分00秒」

現代音楽には変わった楽曲が多数存在しますが、アメリカの実験音楽家ジョン・ケージが手掛けた「0分00秒」もその一つです。

タイトルを見ると「演奏時間が0秒の曲?」と勘違いしそうですが、そういう意味ではありません。この曲の楽譜には音符が一切書かれておらず、「音楽的でない日常的な行為なら何をしてもよい」という指示がされています。日常の何気ない行為の音をマイクで増幅させ、それを音楽として提示するという前衛的なコンセプトなのです。

記念すべき世界初演は1962年、東京の草月ホールで行われました。ケージ本人がステージで水を飲み、タバコをくゆらせながら、この曲の楽譜を書くという「音楽」を披露しました。

クラシック音楽がもっと面白くなる! 厳選トリビア15選

偉大な名曲を生み出した天才作曲家たちも、私たちと同じように悩み、怒り、時には変わったエピソードも残しています。このパートでは、クラシック音楽の偉人たちの人間味あふれるエピソードから変わった楽器まで、面白トリビアを紹介します。

「音楽の父」は血の気が多かった!? バッハの乱闘事件

真面目で信仰に篤く、バロック音楽の巨星として音楽史にその名を残したヨハン・ゼバスティアン・バッハ。しかし、音楽に対する妥協を一切許さない頑固さゆえに、周囲と衝突することも少なくありませんでした。

そんな彼の血の気の多さを物語るのが、アルンシュタットという町の教会でオルガニストを務めていた時のエピソードです。聖歌隊の指導も任されていたバッハは、聖歌隊員であるファゴット奏者ガイエルスバッハの未熟な演奏がどうしても許せず、「山羊のファゴット(下手くそ)!」と侮辱してしまいました。

これに激怒したガイエルスバッハが棍棒で殴りかかると、バッハも負けじと剣を抜いて応戦しようとしました。周囲の人々に引き止められ大事には至りませんでしたが、偉大な名曲の数々からは想像もつかない、バッハの意外な武闘派エピソードです。

バロック時代のエンターテイナー! ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル

クラシック音楽の歴史には不遇な人生を送った偉人も多いですが、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルは別格の成功者です。バッハと同じ1685年にドイツで誕生した彼は、わずか25歳でハノーファー選帝侯(後のイギリス王)の宮廷楽長となります。

その後ロンドンへ渡ると、自作のオペラ『リナルド』を大ヒットさせました。彼の凄いところは、自らオペラ劇場の監督として興行を仕切り、さらに資産運用でもしっかり利益を上げるなど、音楽以外の面でもその才覚を発揮した点です。困窮する大作曲家も珍しくない時代に、ヘンデルは生前から名声と富を築き上げました。

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バロック音楽の巨星として名を残したバッハとヘンデルですが、バッハが神への信仰を捧げるような音楽を作ったのとは対照的に、ヘンデルは大衆の心を掴む華やかで美しいメロディを得意としています。

世紀のペテン師「ジョン・テイラー」の皮肉な末路

晩年、視力が衰えたヨハン・ゼバスティアン・バッハは、イギリスの高名な眼科医ジョン・テイラーの手術を2度にわたり受けました。テイラーは新聞記者に「手術は成功した」と喧伝しますが、実際は失敗。バッハは完全に視力を失い、その手術の後遺症もあって約3カ月後にこの世を去りました。

テイラーは、ヨーロッパ各地の王室を渡り歩き、イギリス王ジョージ2世の侍医にも任じられるほどでしたが、その名声は自らを誇大に宣伝して得たものでした。

さらにゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルも、馬車の事故により視力が衰えて失明し、数年後にテイラーの手術を受けますが、やはり成功しませんでした。

その頃には、テイラーは公然と「ペテン師」と批判されるようになっており、その後プラハで死去。皮肉なことに、彼自身も晩年には盲目となっていたと伝えられています。

ももか

あのさ~、このテイラーって医者、マジで最悪なんだけど!

人間にとって目って凄く大切じゃん? そこで目を治すふりして、失敗してるのに「大成功!」とか嘘ついて宣伝するとか、普通にサイコパスすぎてヤバイ!

SNSがない時代だからやりたい放題だったんだろうけど、今の時代なら即効で炎上して大バッシングされてるヤツだよね〜。

最後はペテン師だってバレて、自分も目が見えなくなっちゃったとか、ちょっとだけ可哀想かなって気もするけど……。

でも、今まで散々人を騙してきたんだから、それって完全に自業自得だよね!

モーツァルトの超人伝説! そのチートすぎる記憶力

音楽における「天才」の代名詞とも言えるモーツァルトには、その呼び名にふさわしい逸話があります。彼が14歳の時、父親とローマのシスティーナ礼拝堂を訪れた際、グレゴリオ・アレグリ作曲の「ミゼレーレ」という合唱曲を初めて耳にしました。

この曲は「門外不出の秘曲」とされており、それを破れば破門されるという厳しいルールがありました。ところがモーツァルトは、一度聴いただけで複雑な合唱曲をほぼ完全に記憶し、楽譜をそっくりそのまま書き起こしてしまったのです。さらに2日後、間違いがないか確かめるためにもう一度聴きに行きましたが、修正するところはわずかだったそうです。

これを知ったローマ教皇は、彼を破門にするどころか黄金拍車勲章を授与して、その才能を称えたと言われています。

雑誌の付録から世界へ! バダジェフスカ「乙女の祈り」

オルゴールの音色などでおなじみの美しいピアノ曲「乙女の祈り」。ポーランドの女性作曲家テクラ・バダジェフスカによって作曲され、1851年に出版されました。

この曲が広く知られるきっかけとなったのが、1858年にフランスの音楽雑誌の付録として楽譜が掲載されたことです。その後、日本にも明治時代に紹介されました。「乙女の祈り」は日本ではよく知られた曲ですが、意外なことに、母国ポーランドでは知名度は低いそうです。

バダジェフスカは本格的な音楽教育を受けておらず、「乙女の祈り」以外の作品は現在ほとんど知られていません。そんなバダジェフスカは病弱だったこともあり、若くしてこの世を去っています。

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音楽と美食をこよなく愛した天才作曲家ロッシーニ

4年に1度しか誕生日が来ない1792年2月29日に、イタリアで生まれたのがジョアキーノ・ロッシーニです。18歳でオペラ作曲家としてデビューを飾ると、21歳の時に発表した「タンクレーディ」で瞬く間に名声を手にします。

その後も驚異的なペースで作品を生み出し、約19年間で39作ものオペラを書き上げました。「セビリアの理髪師」などの大ヒット作を持つロッシーニですが、彼のもう一つの顔は筋金入りの美食家でした。「ロッシーニ風」など彼の名を冠した料理があるだけでなく、ロッシーニ自身が考案したレシピまで残っています。

さらに、晩年に作曲した作品には食材をタイトルにつけた曲まであります。美食の国イタリアに相応しい、食への情熱にあふれた大作曲家なのです。

音楽以外は気にしない? ベートーヴェンの珍エピソード

クラシック音楽の歴史において最も偉大な作曲家の一人であるベートーヴェンですが、警察に間違って逮捕されたというエピソードを持っています。

音楽に関しては完璧を追求し続けたベートーヴェンですが、私生活や服装には驚くほど無頓着でした。ある日、ボロボロの服を着て街を散歩していたところ、あまりの身なりのひどさに浮浪者や不審者と勘違いされ、あろうことか逮捕されてしまったのです。その後、身元が判明してウィーン市長が平謝りする事態へと発展しました。

ベートーヴェンの無頓着ぶりは筋金入りで、のちに有名な作曲家となった弟子のチェルニーでさえ、初めてベートーヴェンに会ったときには「まるでロビンソン・クルーソーのようだ」と思ったそうです。

あなたも聞いたことがある!? アナログな風の製造機「ウィンドマシーン」

クラシック音楽では、時おり変わった楽器が使われることがあります。風の音を再現する「ウィンドマシーン(風音器)」もその一つです。

その仕組みは意外とシンプル。円形の木製ドラムなどの周りに布を巻き付けておき、横についているハンドルをぐるぐると回してドラムを回転させます。その時の摩擦音によって、リアルな風の音を表現するのです。

リヒャルト・ワーグナーのオペラ「さまよえるオランダ人」などのクラシック曲のほか、久石譲の『吹奏楽のための交響的ファンタジー「ハウルの動く城」』などでも効果的に使われています。

「悪魔にでも弾かせろ!」 自作曲にキレたシューベルト

フランツ・シューベルトといえば、仲間を大切にする温和で優しい性格や、内向的なイメージで知られています。しかし、そんな彼が自分が作った曲に対して激しく「キレた」エピソードがあります。

その原因となったのが、ピアノ曲「さすらい人幻想曲」です。この曲は、シューベルトのピアノ作品の中でも飛び抜けて高度な技巧を要求される難曲で、華やかなアルペジオ(分散和音)が多用されています。

あまりにも難しく作りすぎたため、なんとシューベルト本人にもうまく弾きこなせませんでした。演奏中、うまく弾けずに苛立った彼はついに、「こんな曲は悪魔にでも弾かせてしまえ!」と激怒したと言われています。

ピアノの中にネジを投入!? ジョン・ケージの「プリペアド・ピアノ」

音楽で用いられる楽器には、それぞれ特殊な奏法があります。ピアノにも特殊な音色を出す為に、弦に細工をする「プリペアド・ピアノ」というものが存在します。「prepared(準備・用意された)」という意味の通り、グランドピアノの弦にネジやボルトなどを挟み込むことで、本来の美しい音色をまるで打楽器のような響きへと変化させる驚きの技法です。

このユニークな手法は、アメリカの作曲家ジョン・ケージが1940年に生み出しました。演奏会場が狭く、必要な数の打楽器を置けなかったため、苦肉の策としてピアノを代用したのが始まりだそうです。

ちなみに、「鍵盤を弾く」以外のピアノの奏法は、ケージの師でもあるヘンリー・カウエルらが、弦を直接指ではじく手法などを考案しており、ケージもそのDNAをしっかりと受け継いでいたといえるでしょう。

熱狂的な女性ファンを生んだ19世紀のアイドル「フランツ・リスト」

1811年にハンガリーで生まれたフランツ・リストは、音楽界の元祖アイドルといえる存在です。長身で細身のスタイル、美しい長髪に端正な顔立ち。そこに常人離れしたピアノの演奏技術が加わり、彼には観客を熱狂させる凄まじいカリスマ性がありました。

当時の演奏会は複数の音楽家が出演するのが普通でしたが、リストは一人で演奏会を行う「リサイタル」を初めて行った人物だとされています。その人気は現代のアイドルやロックスターさながらで、「リストマニア」と呼ばれる熱狂的なファンがヨーロッパ中にいたそうです。

さらに、彼の演奏を聴いた女性ファンが次々と失神したという伝説的な逸話まで残っています。

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演奏会嫌いの天才? サロンのピアニスト「ショパン」

フランツ・リストと同時代に、ピアニスト及び作曲家として活躍したフレデリック・ショパン。クラシック音楽の歴史に名を残す二人ですが、ピアニストとしての活動スタイルは対照的でした。

リストはピアニストとして最盛期を迎えた1839年から1847年までの約8年間にヨーロッパ各地を巡り、約1000回もの演奏会を行ったとされます。一方のショパンは、宮廷や貴族の邸宅で開かれる社交の場「サロン」での演奏を好み、大規模な公開演奏会にはほとんど出演しませんでした。

ショパンが公開演奏会をほとんど行わなかったのは、単に内向的で繊細な性格だったからだけではなく、生まれつき病弱だったため、リストのように各地を飛び回りながら演奏会を開くのが不可能だったこともありました。ショパンが生涯で行った公開演奏会はわずか30回程度だと言われています。

リストの娘からワーグナーの妻へ、波乱の人生を歩んだ「コジマ」

ヨーロッパ中に熱狂的な女性ファンを持っていたフランツ・リストは、貴族の女性たちと大恋愛するものの生涯独身でした。しかし、マリー・ダグー伯爵夫人との間に3人の子をもうけています。その次女が1837年生まれのコジマです。

コジマは1857年に、指揮者のビューローと結婚して2人の子に恵まれますが、やがて既婚者であるリヒャルト・ワーグナーと恋に落ち、泥沼のダブル不倫へと突き進みました。1865年にはワーグナーとの間に娘イゾルデを出産し、翌年にワーグナーの妻ミンナが病死。コジマはさらに、次女エーファと長男ジークフリートを立て続けに出産します。

1870年に、ようやく夫と離婚してワーグナーと再婚。世間を大いに騒がせましたが、その後はワーグナーの絶対的な理解者として波乱万丈な生涯を共に歩みました。

彼女の父は最悪の毒親!? 裁判で愛を勝ち取った「シューマン」

ドイツ生まれのロベルト・シューマンは、音楽と文学を愛しながらも周囲の勧めで法律を学んでいました。ですが夢を諦めきれず、ピアノ教師ヴィークに師事する道を選びます。

そこで娘のクララと出会い、やがて2人は恋に落ちますが、それに気づいたヴィークは猛反対。2人の面会や手紙を禁じ、シューマンを罵倒・中傷するなど、完全な「毒親」と化します。

和解は不可能と悟ったシューマンはクララの同意のもと、結婚許可を求めてヴィークを提訴。判決はシューマンが勝利し、2人は無事に結婚しました。さらに名誉毀損でも勝訴し、ヴィークには2週間の禁錮刑が言い渡されたそうです。

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シューマンとクララの物語は、しばしば「愛の勝利」として美談に仕立て上げられる。その物語において、クララの父・ヴィークは悪者に仕立てられるのが通例だ。

だが、その後のシューマン夫妻の残酷な結末を知る者からすれば、ヴィークの懸念が的外れだったとも言い切れない。

裁判によって愛を勝ち取ったシューマン夫妻だが、その後シューマンは精神を病み、自殺未遂の末に精神病院でその生涯を閉じている。

後に残されたのは、大勢の子供を抱えたクララの果てしない苦労だ。この悲惨な末路を鑑みれば、ヴィークには先見の明があったとも言えるだろう。

法廷という場では愛の言葉が勝利したかもしれないが、現実という舞台では、狂気が愛を飲み込んだというわけだ。恋愛という一時的な熱病に、法のお墨付きを与えることが、いかに残酷な喜劇を生むかという有意義な判例だと私は思う。

ナポレオン撃退を祝う大音響! 大砲をぶっ放すクラシック曲

クラシック音楽の演奏会といえば上品なイメージですが、とても変わった楽器が登場する曲も存在します。その究極とも言えるのが、ロシアを代表する作曲家チャイコフスキーの序曲「1812年」です。

タイトルの「1812年」とは、ナポレオン率いるフランス軍がロシアに侵攻し、最終的に敗退した歴史的な年のこと。祖国ロシアの輝かしい勝利を描いたこの曲では、なんと楽譜に「大砲」の使用が指定されています。歓喜のクライマックスなどで実際に大砲を発射し、圧倒的な祝祭感を演出するのです。

ですが、通常の屋内のコンサートでは大砲ではなく、バスドラム(大太鼓)やシンセサイザーなどが代用されています。

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曲のイメージ図です

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